エージェント・ライアン

 事務系・学識系の人間が、いきなりエージェントとしての行動を強いられてしまうシチュエーションがこのライアン・シリーズの魅力の一つ。いざ動き出してみれば、他の生え抜きのエージェントよりはるかに優れた能力を発揮し、その頭脳力で勝ち抜いていくという様子は見ていて心地よいが、それは現代の数少ないお伽話的教訓話を見るときの慰撫的心地よさだろう。
 初代ライアンは「レッドオクトーバーを追え」のアレック・ボールドウィンソ連の原潜の不審な動きを亡命と見抜き、その自説を証明するために、やむを得ず冒険を強いられていく。お偉方を前にした会議でライアンが熱心に、しかし理路整然と自説を開陳していくシーンは、好きな場面の一つだ。
 ハリソン・フォードは二代目ライアンとして「パトリオット・ゲーム」と「今そこにある危機」に出ているが、この二作では、その知らないうちに行動に追いやられるという「巻き込まれ感」はあまりない。「パトリオット・ゲーム」で、大学で講義をするほどの学識系の男が、目の前で起きたテロに銃で応戦したためにテロリストに逆恨みされ、やむなくそれと対峙するというだけだ。しかし、この映画で、テロリスト殲滅の衛星画像による実況中継が、CIAの作戦室で見られているというシーンを、多分映画ではじめてわれわれは見たのだと思う。「今そこにある危機」では、麻薬ディーラーたちが、家族ともども集まっている家に、米軍が衛星で誘導されたミサイルをぶち込む。これらの先端の軍事技術の開陳に、実に驚く思いをしたものだ。映画の観客だから、これらの殺人テクノロジーの進化に、恐れおののくというより、単純に面白がっていただけだが。
 三代目のベン・アフレックで、ようやく「巻き込まれ感」が復活。ハリソン・フォードの前作で、CIA副長官まで出世したライアンをわざわざ現場に戻したのだから当然か。たまたまロシアの新リーダーになった男の分析論文を書いていたために、末端の分析官ライアンが諜報の中枢に呼び出されてしまう「トータル・フィアーズ」。敵側の主要人物の体型の変化からその健康状態を分析しているような、瑣末な情報分析の現場にいた男が、諜報行動の最先端に行き、第三次世界大戦を防止する大役を担ってしまう、というのは、植木等の出世物語を見ているようで気持が良い。ベン・アフレックはこの映画では、モーガン・フリーマンに食われてしまっているけれど。それに日本人としては、この映画は核爆弾を衛生化しているという意味で、よろしくない映画である、と一言言っておかなければならない。原爆がただの爆弾の規模がチョーでかいもの、という扱いだ。本当に都市で核爆発があったら、こんなに簡単に米ロが和解できまい。パニックを抑えるために被害状況を隠匿しようとしても、もうそれが出来ない時代である。
 数えると、今度のクリス・パインは四代目か。どう見てもインテリタイプは見えないので、これはミスキャストと思い、あまり見る気がしないでいたが、見てみてればそこそこ面白い。期待してなくて見ると、結構いいのかも。これは原題のshadow recruit が言うとおり、エージェントにリクルートされるのが発端だから、「巻き込まれ感」は全くない。そもそもこの映画はライアンをリブートしたものとしているから、そこに不満を言ってもしょうがない。

2014年 米 ケネス・ブラナー