2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ガラスの部屋

映画ファンとして長生きして損したと思うことが二つほどある。 ひとつは「鉄道員」(1956)。イタリア・リアリズムの重厚なこの映画が、浅田次郎により「ぽっぽや」という気が抜けるようなふり仮名がつけられてしまった。わたしなどより旧国鉄、私鉄関係の人た…

デュプリシティ

やたらと時間が前後した、入り組んだ話を解きほぐせと、頭を使うことを要求してくるこのような映画は、ジュリア・ロバーツの顔では楽しめない。スパイ同士にむりやり恋愛をさせ、かつ互いの不信感を愉しむというストーリーに、時間を小刻みに朔行させるこの…

チャイナ・ガール

これは、まさに先の大戦の開戦直後に作られたプロパガンダ的映画だ。ジーン・ティアニーがメーキャップも何もせず、西洋人の地のままで中国人女性(ハーフでもないらしい)と称しているが、一体どういう神経か。一方では、恐ろしく出っ歯の日本人将校が出てく…

もののけ姫

録音のレベルが低いのか、声優の活舌が悪いのか、擬室町風の聞きなれぬことばのせいか、それとも私の耳が悪いのか、そもそも字幕スーパーの洋画ばかり見ているせいか、とにかくセリフがろくろく聞き取れないのが最大の難点。肉声によるエロスの力で物語の世…

フェイク・ディール

ビル・パクストンにマーク・ウォルバーグなのにこれが面白くない。劇的構成が弱すぎる。劇中の好事は登場人物の都合の良い能力により、逆事は登場人物の信じられないほどの愚かさによる。つまり、劇を盛り上げる要素となる好事と逆事の双方に、登場人物の能…

戦場のピアニスト/ピースメーカー(2)

ノクターン20番は、映画の冒頭と集結部にそれぞれラジオ局で演奏される曲として使われている。しかし実際は、ドイツ将校ホーゼンフェルト大尉の前で弾いた曲こそが20番だったのだ(シュピルマンの自伝ではノクターン嬰ハ短調を弾いたとあるだけになので、実は…

戦場のピアニスト/ピースメーカー

標記の二つの映画の共通点は何か。前者は第二次世界大戦時ナチスの迫害を受けるユダヤ人ピアニストを描く映画で、後者はボスニア紛争と核のテロに対する米軍の戦いを描く。つまり共通点は「戦争」ということになるかも知れないが、昨日の続きで言うと、ノク…

心のままに/トゥーム・ストーン

標記の二つの映画に共通するものは何か。ともに1993年製作の映画だが、前者はリチャード・ギア主演の恋愛映画で、後者はカート・ラッセル主演の、ワイアット・アープとドク・ホリディが出てくる西部劇。 答はショパンの夜想曲19番(op72-1)である。前者は、躁鬱…

インドへの道

デビッド・リーン監督の、いかにも大作を作るぞという手つきが、この映画にもある。しかし、すぐに気がつくことだが、この大作の下地には、映画製作史上、これまで大作というものを大作たらしめていた、歴史の大きな動き、人間の価値観の大きな変貌というも…

グッバイ・ジョー

アル中で、ワイフ・ビーターで、掃除夫の父親を持つ少年が、学校の偏見といじめとから、まっとうな学校生活が送れず、ひたすら窃盗を繰り返すようになってしまい、最後は少年院に入れられてしまうというお話。少年は終業後のバイトと窃盗で稼いだ金で、一つは…

ファーゴ

この映画には徹頭徹尾「普通の人間」しか登場しない。うだつの上がらない中年のセールスマン。彼を取り巻く強欲で利己的な顧客たち。ここには営業という現場の一種のリアリティがあり、このリアリティの前には顧客満足>などという経営スローガンが絵空事のよ…

バクダッド・カフェ

これもヘンな映画だ。フリークショー的なグロテスクな映画と思いきや、結局まっとうな人間賛歌で終ってしまうのだから。ヘンだヘンだと感じるのは、ひょっとしたら自分がヘンになっているせいか。要注意。 まるでながいこと現像しないまま放っておかれたフイ…

ギリーは首ったけ

ヘンな映画。タイトルもヘン(同じ言うならギリー「に」首ったけ、だろう)だし、話もヘン。サリー・フィールドがひどい役で出ている。欲得だけの、愛情がこれっぽっちもないケバい母親役なのだが、最後は脳出血で太腿もあらわに卒倒して半身不随になる、とい…

父の祈りを

映画の中に理想的男性イメージを求めるという志向性がまだ私の中にある。「ラスト・オブ・モヒカン」でマデリーヌ・ストウという美麗な「女性」に恋焦がれられる「男性」を演じたダニエル・デイ・ルイスの精悍な美男ぶりに陶然とした私は、あらかじめそのイ…

ラヂオの時間

良かった点。 変に依怙地で偏屈な芸人魂を演じ出してみせる細川俊之。どこにでもいそうな平均的日本人中間管理職のフンイキを出す西村。これもどこにもでもいそうな存在感のない芸能界の業界人のフンイキを出す布施明。最後に美声を聞かせてくれるところも良…

キング・コング

周囲の人間からつまらないからやめたほうがいいとさんざん言われたが、しかし見てみるとやっぱり、単純に面白い。今回の作品はコングのみならず、恐竜が出たり、巨大な節足動物やイソギンチャクの化け物やら吸血蝙蝠やらが出たりと、怪物のてんこ盛りである…

血と骨

だいたい話がわかったところで、眠くもあるしやめようと思ったが結局最後まで見てしまう。戦前の貧しい日本の町並みの風景(言うところの「匂いのある風景」)がセットで忠実に再現されていて、旧懐の情を覚えたというのが、この殺伐とした映画を最後まで見終…

ザ・エージェント

非人間的なまでに巨大化した、スポーツ界のエージェント会社。この組織はあまりに巨大化したために、コミッションの数字以外にはいっさいの想像力が及ばないようになっている。「人間的」なところにまでは、とうてい想像力が届きえないのだ。かくてここにス…

ローマの休日 (8)

例の1ドル半の購買力の謎を知るために、「『ローマの休日』とユーロの謎」という本を読んでみたが、まったく参考にならなかった。思いもかけず、ノヴェライズ本の「ローマの休日」(百瀬しのぶ著)がこの謎の解法の一端を示した。サンダルの値段は2,600リラ(約…

ローマの休日 (7)

「新・ローマの休日」というリメイク版があるらしい。そもそもリメイク版に良い映画があった例はない。この映画はまだ見る機会がないが、主演の二人の顔を見てもあまり期待できない。というより見ないほうがいい、と思わせるご面相だ。 映画というものの受容…

ローマの休日 (6)

映画の撮影ミスというものを探すのは案外楽しい作業だ。スペイン広場の時計台を始め、この映画でも、いろいろとミスが集められている。アパートでアンと話すジョーのネクタイの位置とか、カフェ・グレコでアイスコーヒーをかけられたアーヴィングの服がぬれ…

ローマの休日 (5)

ドストエフスキー「カラマゾフの兄弟」の続編が構想されたり、漱石の未完の遺作、「明暗「がその完結を期して「続・明暗」として創作されたりしている。映画の続編を考えるというのも楽しいかもしれない。 「続・ローマの休日」 アメリカに帰国したジョー・…

ローマの休日 (4)

「ローマの休日」の原作者がダルトン・トランボだと知ったときは軽い衝撃を受けた。何度もこの映画を見るうちに、その原作・脚本家であるイアン・マクラレン・ハンターの名前も知るようになった。一方でトランボの小説「ジョニーは戦場へ行った」を読んでい…

ローマの休日 (3)

ジョーのアパートで一夜を過ごしたアン王女が王宮に戻る前に、ふと思いついてジョーからお金を借りる。その金額はジョーの持ち金2,000リラを折半した1,000リラ。王女は「1,000リラも!」とびっくりするが、実はそれは1ドル半であるに過ぎない。しかし驚くべき…

ローマの休日 (2)

純粋な心の持続というものはかなわないが、少なくとも一瞬心が純化されることもあることを、確かな記憶として残したいという希求は普遍的なものだろうか。この映画は間違いなくその希求に応えうる映画である。存在しない王国の存在しない王女の物語。しかも…

ローマの休日 (1)

存在しない王国の、存在しないプリンセスと、遍在するアメリカの、遍在する青年との恋の物語。 新聞記者ジョー・ブラッドレーは、会社に遅刻する。大きな時計台の針が彼に、世界から彼が遅延していることを告げる。彼はローマの街の陽射しの中に飛び出してい…

我が心のボルチモア

1914年東欧からアメリカに渡り、壁紙職人として働きながら、やがて百貨店の経営者となる息子を育てていく男の一代記であり、彼の兄弟縁戚たちの年代記である。主人公サム・クリチンスキー(アーミン・ミューラー=シュタール)が、独立記念日の祝祭に湧くアメリ…

エグゼキュティブ・デシジョン/ザ・ロック

エグゼキュティブ・デシジョン 米本土の防衛か、旅客の命か。そのどちらかを選択する最終決断。娯楽映画である限り、なかなか旅客の命を犠牲にする選択は難しい。結局、その犠牲は必要なく米本土も防衛されるのだが、実際にこういう映画を見ると、米国はいつ…

ブロークン・アロー

たまたま「チャイナ・シンドローム」を再見したあと見た映画なので、この映画は核兵器の危険性を玩具にしているように思えた。「チャイナ・シンドローム」は原子力発電という核の平和的利用の局面であるが、むしろそこで原子力の本質的な怖さを訴求している…

フェィク

アル・パシーノの演技はゴッドファーザーⅢ以降全然変化がないように見える。アクが強く、ときにヘキエキさせられる。この映画ではうだつの上がらない老ヤクザに扮しているが、こういう風采の上がらぬ役どころに、俳優の魅力で少しのキラメキを付与するのを眺…