2012

 この手のSFパニック・ディザスター・ムービーは私の大好物であるが、「インデペンデンス・デイ」(1996)「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」(1998)、「デイ・アフター・トゥモロー」(2004)「ハプニング」(2008)「ノウイング」(2009)と次第に特撮に手が込んできて、制作者は観客の度肝を抜くことだけに専心しているかのようだ。話の内容も人類の大量殺戮だけでは収まらず、どうしても人類を滅亡させなければ気がすまないというのが、SFXの技術の発展のしからしめるところだが、今度は実際に少数の生き残り以外は人類がすべて死滅してしまう話になった。この手の映画に必ず約束事としてついてくる、離婚した夫婦や離反した親子が、外的クライシスの力を借りてめでたく和解する、という話がこの映画にもちゃんと付随していた。しかし、一分一秒を争っているときに、元夫婦や親子同士が「愛してる」などと、愛を確認しあうことにムリョ30秒も費やしているのはどうかと思うが。また、死地に陥った主人公が、少し気を持たせたあとでやっぱり無事生還するのだが、ことが人類の生き残りの可否にかかっているこの映画で、それは余計なシーンとしか思えず、そこでハラハラしたり安心したりしてくれ、というのは少し無理な要求である。主人公はもう死んでしまって仕方がないのだからさっさと次の手を打てよ、と言いたくなる。そして発進前に箱船の扉が閉まるか閉まらないかで一悶着あるが、それなどは、全体の大きなサスペンスをダメにしてしまう小さな余計なサスペンスでしかなく、その場面は退屈である。全般的に、もう少しドキュメンタリータッチで非情に話を進めてもいいのではないか。なにしろノアの箱舟に乗れた人間(基本的に金持ちを始めとする特権階級)以外はすべて死滅するという映画なので、その世界でいくら愛を説かれても白々しく心もとないし、相手が他ならぬこの映画の主人公といえども人ひとりの生死にそれほどかかずりあっているわけにも行かないのである。

2009年 米 ローランド・エメリッヒ