青いパパイヤの香り

 寡黙で耽美的な映画。映像をしてすべてを語らせるという意思が全編に張りつめており、ゆるぎない映像美に溢れたシーンが隙間なく点綴されている。
 貧しい娘が下女として奉公するうち、雇い主に見初められて結婚し、階級のランクアップを果たすという大筋は、言ってみれば「マイ・フェアレディ」のようなものなのだが、あれほど騒々しい映画では、もちろんない。かといって「おしん」のベトナム版かというと、それほど感傷に訴えようというというような安易な手法をとっているわけでもなく(奉公先の子供にいじめられるというシーンが若干あるが)、そもそも、そのような現実を描くことが目的なのでもない。
 子供に蠟をかけられてもがく蟻の接写シーン、その蟻を潰す子供の指のクローズ・アップや、醜悪な蝦蟇の接写シーンなどは、ストーリー自体に何らかの象徴的意味合いをもたせている、ということでなく、ただ淡々と、審美的に描かれるためだけにカメラの被写体になっている。
 1950〜1960年代のベトナムの、裕福な階級の家庭とその奉公人の暮らしを描くこの映画から感じられる美は、すでに日本では失われてしまったような、様式的な生活の美だった。かたやフランスの植民地(1884年より1954年まで仏領)、かたや植民地たることこそ免れたものの敗戦国、どちらが文化的な荒廃の度が深いのか。
 ピアノと骨董の壷と中国風の仏壇、植民地様式風の館(熱帯の、光溢れる窓 !)と、茶碗に箸という食事風景、奉公人が炊事する土間などの取り合わせが、何らの不調和感をもたらすことなく、一つの美的風景の中に収納されている。
 こういう映画を見ると、日本の映像作家が負っているハンデというものを感じ、すこし暗澹たる思いにさせられた。

1993年 フランス/ベトナム  トラン・アン・ユン