僕と彼女とオーソン・ウェルズ

 最初は、えーこれがと思ったクリスチャン・マッケイだが、だんだんとオーソン・ウェルズを髣髴とさせる人物に見えてくる。このとんでもなく我が強く気まぐれで好色な男が、マネジャーや役者や大道具小道具やを丸めたり賺したりしながら、結局自分の思うとおりに芝居を仕上げてしまう。そして観客の心を捉え大成功を収める。感動をもたらす芝居というものを作り上げたというそのことに、私も感動を覚えた。藝術というものが生まれてくる野性的な現場に立ち会っているような思いがした。その芝居が「ジュリアス・シーザー」とくればなおさらだ。
 初演を成功させるためには、すでにクビにすると決めている役者でもそのことはおくびにも出さず褒め上げおだて上げ最良の演技をひきだそうとする、その奇妙にプラグマティックな、しかし怪物的な芸術至上主義。
 作家志望の女性は、これまで投稿ではボツにされてきた「ニューヨーカー」に、編集者への紹介を得て、小説を載せることに成功する。オーソンのアシスタントの女性はせいぜいオーソンに取り入ったこと(sexも含めて)が功を奏して、眷恋の映画監督(セルズニック)と面識を得ることに成功する。才能だけが芸術家をその世界に住まわしめるのではなく、このような特権的人間関係もまた芸術家の存在を社会化するのだ。即ち芸術家を芸術家たらしめる。主人公はオーソンの不興を買い最後は劇団から放り出されるが、正しいことを貫いたとする彼のその行為を、世俗にまみれないものとして単純に称揚するわけにはいかない。彼は、社会的な事実が形成される機微にあまりにも無頓着すぎるからだ。映画では「大人の世界を知り、明日への希望を馳せる」というようなあたり障りのない締めくくりにしているけれど。
 三島由紀夫が、文壇の隠然たる重鎮、川端康成に忠勤これ励んだことを思い出す。その三島は一方で川端の小説に「チャームされたことはない」と明かしているのである。三島はノーベル賞を巡って結局川端に臍を噛まされるのだが。オスカー・ワイルドに倣い「天才」のすべてを生活に充てていた三島ですらも、代作者を使って(小説「乙女の港」は中里恒子の、文学論「小説の研究」は伊藤整の代作らしい)平然としている老獪な川端の敵ではなかった。川端は孤高なままで、「文壇」というまだ強固だった社会関係の中に生きていた。
 ウェルズが「シーザー」の芝居を打ったのは「市民ケーン」の4年前の1937年で、その時弱冠22歳であったという。マッケイは熱演を見せてくれたが、より若い俳優を充てていれば、もっとウェルズの怪物性が出ていたかも知れない。
 作家志望の女性に扮したゾーイ・カザン、もしやと思って調べたら案の定エリア・カザンの孫娘だった。縁戚というものも芸術家を芸術家たらしめる社会的関係だが、カザンの末裔という立場は微妙なものだったろう。

2008年 英 リチャード・リンクレイター