ティン・カップ

 映画とは夢の顕現のようであるべきだと思うが、このゴルフ映画は、現実の方の素晴らしさに負けて、くすんでしまっている。映画の中でケビン・コスナーが放ち、それを特撮で細工したショットより、現実のプロゴルファーのショットのほうが素晴らしい。
 現実より情けない夢、というものがあって良いものか。レネ・ルッソにソフト・フォーカスをかける必要があるせいか、肝腎のゴルフ場もくすみきっていて、芝の緑、空の青、バンカーの白砂などが全然映えていない。現実のオーガスタの方がはるかに映像的に美しい。映画という虚構が、映像美で現実に負けてしまった稀有な例。そしてドラマ性という意味でも、現実のマスターズ優勝後のウッズ(彼はその後すっかり株を落してしまったが)親子の抱擁シーンのほうが、はるかに映画を凌駕している。例えば全英オープンの最終日のグリーンの、針が落ちる音でも聞こえそうな静寂と、嵐のような歓声と拍手の、鮮やかに劇的な対比などは、この映画からは露ほどもうかがえない。それを映画で再現しようとすれば、往年のパノラマ大作撮影時のように大勢のエキストラを動員するしかないだろう。そう、まさに史劇のように壮大にゴルフ映画は作られるべきである。
 総評としては「織部錦次郎」よりすこしマシというところ。

1996年 米 ロン・シェルトン