桜田門外ノ変

 日本は文化的にも経済的にも既に十分に「開国」しているのに、TPPを第二の開国と呼んで、これに反対する人をあたかも頑迷な攘夷派のように見なす人たちがいる。そういう人たちがこの映画を見たら何と思うだろうか。
 桜田門外の襲撃が「安政の大獄」への報復でもなく、単なるファナティックな「天誅」としての暗殺でもなく(もしそうだとしたら日米修好通商条約は既に締結されているのだから無意味)、薩摩藩の三千の兵による京都占拠と連動した倒幕計画だったと、この映画で初めて知った。なんとなく水戸脱藩浪士による単発的な行動、結果の効を問わない陽明学的な行動に過ぎないと思っている人は多いのではないか。結果的に、薩摩藩や浪士を支持する藩の藩主の交替、及び西郷隆盛の失脚に拠って、浪士たちは孤立しその大半が刑死してしまうという悲劇に終わるにしても、その元には合理的かつ実効的な計画があったのだ。
 日米修好通商条約の結果は、物価が高騰して民の生活が疲弊したということに現れた、と映画は語る。多分それは金銀の内外の価格差に目をつけられ、大量の金が国外に流出してしまったことの結果によるのだろう。幕府はそれを予見できなかった。幕府の頑迷さを笑うことはできない。TPPのもたらすものを完全には予見できないのは今の政府も同じだからだ。
 政府だけではない。本作はすぐれた映画であるが、唯一の欠点はその主題歌だ。あまりにもセンチすぎる。曲もそうだが歌詞があまりにも感傷的に過ぎる。こういう感傷をその感情生活のベースに持つ現代の日本人が、幕末の当路の要人や志士たちのような戦略的思考でTPPに対することができるのかどうか覚束ない。この映画に限らず、日本で「歴史大作」を作るときに、決まったようにその音楽にかつてのフォーク歌手(愛と平和 ! )を呼び寄せているが、そのたびにこういう日本人の脆弱さを思い知らされる。
 TPPを離れてこの映画を見たらどうか。対中国問題。井伊直弼は、今英米と戦えば日本の敗戦は目に見えており、国を滅ぼさぬために涙を呑んで条約を締結するしかない、との信念を持っていた。通商によって国力を蓄えるべきだと。そうでなければアヘン戦争でイギリスに蹂躙された清のように亡国を招くだけだと。この局面で言えば井伊は正しかったと思われる。現在の情勢は万延元年に較べてさらに複雑なものになっている。打開策は脱藩浪士によるテロルではもちろんない。三千の兵を動員できる「薩摩藩」との連携の道を探っていく英知が必要なのだ。しかし「悲しみは雪に眠る」というような唄に、われわれの過去の貴重な経験を解消しているようでは、その英知の出る幕があるのかどうか、極めて心許ない。

2010年 佐藤純彌