ミュージック・ボックス

 大戦中のハンガリーでのユダヤ人虐殺。「矢十字」というハーケンクロイツを模した様な記章をつけたハンガリー軍人の存在。ハンガリーポーランド等の東欧諸国は、単にナチズムの被害者であると漠然と思っていたのだが、実はこういう加害者としての側面もあったのだ。
 ラストの残酷な逆転のシーンには、人間存在の(特に権力を握った人間の)不気味さを思い知らされる。目の前に無力な存在がおり、自分が絶対の無罰の存在であるときに、人間はかくも残酷になれるものなのか。その同じ人間が大戦後にアメリカに逃亡し、強奪したユダヤ人の金歯で培った財産で悠々と暮らしながら、自分の妻や娘や孫たちにとってのやさしい存在であり続けていたのだ。
 父を弁護する役目を買って出た女性弁護士(ジェシカ・ラング)は、やがて正義を取るか父を取るかの選択を迫られる。日本人なら取らないであろう、取れないであろう選択を彼女はする。正義の名に拠って過去を裁断するわけだが、その正義は決して歴史的文脈や力関係から自由なものではない。現にイスラエルの掲げる正義の姿を見よ。裁くなら裁くでもよし、その場合最低限彼女は法曹界を去るべきだ、と思うのは東洋的倫理感に過ぎないのか。
 題材はこの上なく陰惨なものだが、真実に迫ろうとする動力、真実が暴かれる方法の描出などには「映画的快楽」が溢れている。ためにこのような悲劇を快感をもって享受してしまうのである。裁判映画として出色の映画であり、中でも公正を維持しようと努力するユダヤ人判事の姿が印象的だった。

1989年 米 コスタ=ガヴラス