仁義なき戦いシリーズ

 めでたい正月になぜか殺伐とした「仁義なき戦い」シリーズを放映してくれたWOWOW。最初のシリーズは五作目の「完結編」で終わったが、ダメ親分山守が殺られていないので完結した感じがしない。そこで「新仁義なき戦い」シリーズとなるが、その三作目「組長最後の日」まで見る頃には、日本のヤクザの殺しの手際の悪さが気になり出す。三度も襲撃に失敗してその度に子分をなくし、殺さなくともいずれ病気で死んでしまう組長をやっと四度目の襲撃でに射殺、そして自分も殺されてしまう、というお話。これでは、組長を殺るのがどんだけ難しいかというより、どんだけ戦略がないのか、ということになってしまう。拳銃で撃ってもなかなか当たらずなかなか死なない、というリアリズムがそもそものこのシリーズの魅力だったが、これだけ手際が悪いと、頭を狙って撃てよ、と言いたくなってしまう。またはアメリカギャング映画の如くマシンガンぐらい使ってくれ、と言いたくなるのだ。
 意地(菅原文太)と保身(他の親分衆)とのぶつかり合いは、原理主義保守主義との相克のようだ。そして常に英雄は原理主義のほうにあり、保守主義はみっともなく描かれる。この遠近法には、現実問題としては警戒が必要だ。どちらが困難な生き方かと言えば、それは保守なのである。
 シリーズはその後も三作作られ、渡辺謙の「新 仁義なき戦い 謀殺」が本当の最終作らしい。渡辺謙は英語のセリフもばっちり決められるし、一方ヤクザもこなせるといういい役者だが、跡目争いからやがて子分同士の対立になるという、いささか定型的なストーリーには、このシリーズを十一本も見た後では食傷気味になってしまい、後半は流してしまった。
 ところで、第一作では進駐軍の無法さが少し描かれているが、この映画ではもう一つのタブーには触れていない。第十作目「新・仁義なき戦い。」では布袋寅泰が在日の役で出ていはするけれど、日本のヤクザ界の歴史的に大きな流れ、つまり任侠界に在日が入ってきてヤクザ化した、という流れには触れていないのだ。それに富坂警察署襲撃事件や生田署襲撃事件その他幾多の暴動も、韓流にうつつを抜かしている人たちのために、いつか映画化して欲しいものだ。