アメリカン・ハッスル

 「観客も騙される」という事前情報から、「スティング」を見たときのようなカタルシスをこの映画に期待したが、あまり爽快感はない映画だった。「スティング」の詐欺師は一種の義賊のように描かれていたが、この映画を見ると、昔も今も詐欺というのは、「振り込め詐欺」における高齢者の如く、むしろ社会的弱者を対象とするものなのだ、という当然のことに気づかされる。「貧しいものからは盗らない」などというのは多分娯楽映画や講談の中にしか存在しない。仮に今「スティング」をマジにリメイクしても、スレた観客はドンびいてしまうだけだろう。
 さすがに新しい映画ではネタバレは避けなくてはいけないだろうし、そうなると言いたい事が言えなくなるが、昔、「アブスキャム」事件の報道に触れて、詐欺師に片棒を担がせて政治家やマフィアを落とし込もうとしたFBIに卑劣さを感じた人なら、多少の爽快さを感じることが出来るかも知れない、とギリギリこのくらいは言ってもいいだろう。こちらはただエイミー・アダムスを見に行ったので全然問題はない、と言いたいが、彼女もこちらが期待していたイメージとは異なっていた。そもそもクリスチャン・ベールも、ジェニファー・ローレンスも、ジェレミー・レナーもこれまで演じた人物像から形成されたイメージを裏切る演技をしている。デビッド・O・ラッセル監督はそういう新しい演技を引き出す名人らしい。既成観念にとらわれている人こそが詐欺にかかりやすいのであるから、ここですでに観客は詐欺にあったような気がする、という仕掛けなのかもしれない。途中で、見慣れない、くたびれた老人が思わせぶりに出てきたと思ったらそれはマフィアに扮したデ・ニーロなのだった。