聨合艦隊司令長官山本五十六 太平洋戦争70年目の真実

 70年目の真実、って何かと思ったら、実は山本五十六が誰よりも日米開戦に反対していた、ということだった。陸軍悪玉/海軍善玉論というそもそもの虚構をさらに分断して、海軍の中でも山本が孤立していたという図だが、果たしてどうだろうか。「護憲平和教」を信奉するあの半藤一利がこの映画の監修者であるから、内容は推して知るべしだ。半藤氏はそのベストセラー「昭和史」で言論界に一定の地位を占めたが、その書には、広田内閣を糾弾こそすれ近衛内閣については全く触れていないという重大な欠陥がある。そもそも東京裁判史観が風化した後の歴史的検証には耐えうる本ではなかった。しかし人は自分の過ちはよく認めないもので、こうして映画の監修にもしゃしゃり出てくる。
 中川八洋氏の著書「山本五十六の大罪」は、この半藤一利阿川弘之などによって流布された山本像を転覆させるものだ。ことの正否はべつにして、同じ歴史資料というものを元にこれだけ正反対の人物像を抽出できる、ということに驚く。資料であれ証言であれ、われわれは歴史的事実に言語を介してしか触れえないが、言語を介するが故に、歴史的事実がさまざまに変容してしまうことを避けえない。
 しかし数字で表される事実は、この変容を幾分かはまぬかれている。たとえば以下の数字。

 空母 3 : 8、戦艦 0 : 11、巡洋艦 8 : 24、駆逐艦 11 : 70余

 日本軍が大敗を喫したミッドウェー海戦の日米戦力比である。これを見たら誰しも前者が日本の数字だと思うだろう。しかし逆なのである。日本は米国に倍するに5倍の戦力で臨み、これに大敗して空母4隻を失った。このような海戦を指揮した山本が、いかなる意味で名将と呼ばれうるのか。作戦の直接の指揮は南雲中将だが、今で言うと民主党得意の「任命責任」を問われうる。雷爆転換の「運命の5分間」というのも海軍のいいわけじみて聞こえるが、ここから先はまた言語を介した歴史的事実で、複数の解釈がありうる。ミッドウェーでの完敗という結果は秘匿された。この敗戦自体の隠蔽に山本は深くかかわっている、というより隠蔽の当事者である。敗戦が明らかにされていれば、アッツ島からも撤退すべしという判断ができ、同島での玉砕という悲劇は避けえたはずである。隠蔽はさらに続き、実際は沈没した空母を恰も存在しているが如く海戦図に配置して作戦のツジツマをあわせていた(!)。
 かつて三船敏郎山村聡の演技によって名将のイメージを培われた山本五十六に、またもや名優役所広司によって人情家というイメージが付け加えられた。これらのイメージを引き剥がすのはあるいは日本人として辛い作業かも知れないが、しかしやらねばならないことである。山本五十六の虚像を暴く、というのは、この映画では全く描かれなかった、山本の女好きの一面をさらす、そのことだけではない。阿川弘之がそこに触れて遺族から名誉毀損刑事告訴を受けているが、山本=名将のイメージを広げたのは阿川である。その山本像が虚像に過ぎないのはいまや明らかであると思われるが、2011年に至ってもこのような物語が語られている。歴史のタブーと言うものは根が深いようだ。某国の歴史がファンタジーに過ぎないなどと日本はまだ言えないのだ。

2011年 成島出