北の宿から

 都はるみがデビュー10年目に放った3曲目のミリオンセラーを元に、翌年作られた映画。都はるみはこの曲で日本歌謡大賞日本レコード大賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリなど17の賞を獲得、同年の紅白でトリの座をしとめて、歌謡界の頂点を極めた。
 例によって、28歳の都はるみが見たいだけで、映画の内容には全く期待していなかったのだが、この映画は内容的にもちょっと面白かった。主役は中野良子田村正和で、このふたりが結局は悲劇に終わる恋愛劇を演ずる。結婚するためには医者であることが必要条件だとして結婚に反対する相手側の父親に折れて、自分の天職を捨てるという最大限の自己犠牲を払おうと決心する田村。愛する人のそんな自己犠牲を受け入れることはできず、逆に愛を断念するという自己犠牲をぶつける中野。愛の破局を導くこの恋愛心理の行き違いが、なかなか高度なリリシズムで描かれていた。つまり「北の宿から」の歌の世界では、これはない。その歌の世界を生きているのは、もちろん都はるみで、旅館のおかみに扮した彼女は、田村・中野の恋愛の傍らで、出稼ぎに行ったまま帰ってこない夫を永遠に待ちわびるだけである。もう一つ恋愛の不可能性を訴える挿話があるが、この挿話がもう少し効果的に演出されていたら、この映画は恋愛映画の傑作にすらなっていただろう。
 都はるみの割烹着姿に萌えるくらいだから、私の中にも、男につくして報われないままそれでも耐え忍んで待つ、という女性に美点を見出すような心性が残っているのだろう。淡谷のり子は、「演歌撲滅キャンペーン」を張り、この歌を名指しで非難したそうだが、確かに非難されても仕方がない「後進的」な心性でそれはある。再デビュー後の都はるみは、自分を主人公として等身大の歌を歌うことを主眼にしているから、半分周りの男たちから押し付けられたこの心性から脱皮して、さらに大きく開花した。もっとも引退の直前に夫に離婚を告げたとき、すでに彼女は等身大の自分を見出していたのだろう。夫はデビュー時からの同僚であり、周りの反対を押し切って数年前に結婚していた。彼は日本で3番目に数多く歌われたというデュエットソング「ふたりの大阪」の相方でもあった。「後進的な心性」と言っても、歌は別。歌はある感情を造型化したものであるから、後進だろうと先進だろうと心に響くものは響く。
 ところでこの映画が公開された1976年は、クラリオンが初めてカラオケを販売した年、すなわちカラオケ元年と言われている年である。国民一億総歌手になっていく時代に合わせて流行歌も変わっていく。唸り、小節など難しいテクニックは敬遠され、歌いやすい歌が歓迎されるようになるが、都はるみとそのプロダクションはこの時代の変化にちゃんと対応していく。さらにその3年後にはウォークマンが開発された。このウォークマンは音楽のタコツボ化を招いたという。iPODが出てくるのはずっと先の2001年だが、一人ひとりが個的に音楽を聞くことが出来るようになって、たとえミリオンセラーとなっても「国民」全部が知っている歌というのは消滅した。今国民の歌と言えるのは一部のCMソングくらいで、そのほかは全て知る人ぞ知る、という状況である。都はるみは復帰した後9年間は紅白に求められて出場していたが、1997年、第48回の紅白を最後に「紅白を卒業します」と言って出場を辞退した。それも正解に思える。
 映画の話に戻ると、最初は田村正和古畑任三郎に見えて困った。いや最初といわず最後までか。中野良子はその大柄なところあたりが「96時間」のマギー・グレイスのような雰囲気だが、もちろんはるかに中野のほうが美人。

1976年 市川泰市