未来世紀ブラジル

 世界が曲がりくねったダクトパイプと張り巡らされたコードにびっしりと絡みつかれたとき、必要な政治的選択は人間の管理の強化だ。管理の中心である情報省のその長官はエリート職であり、専用のエレベーターと凶暴な衛兵があてがわれている。身分証明書だけにすがり付いて生活している人間たちのその絶望までもがすきまなく管理されているのに、中にはまだ恋という幻想から自由になれないでいる者もいる。異性がもたらす死への衝動が相変わらず光や天馬というシンボルと結びつけられて夢想されている。その一方で革命も夢見られている。体制の中で継続的に人が冤罪に問われ続けているときに、管理から逸脱した物質を組み合わせて作られた爆弾が、死に果てた都会のあちこちに仕掛けられる。爆弾はわずかばかりの無意味な人たちの肉体を損壊し、それ以上に多くのダクトとコードをずたずたに引き裂く。その部分的な破損はシステムにほんの少しずつ再生のための刺激を与え続ける。管理に強大な中心があるので、反抗は中心を略奪される。反抗は周縁であり、周縁でしかない。その周縁を取り次いでいるのは端末機である。端末から打ち込まれた情報は、絶え間なく周縁から中心への侵入を図りながら、多分にシステムのどこかを変質させている。しかしその変質の全過程を把握している者はいない。端末から情報を読み取ろうとする試みは常に逆に情報として登録されることで終る。その頭脳から情報を読み取る必要があると認定された人間が、多くは公文書の形で指定される。管理の中で隠蔽された人間の破壊衝動が、汚水の中の澱が柵の網目に蝟集するように、避けがたくその情報収集過程に集中される。だから脳波を電気的に解読したり意志や感情を化学的に変化させるという効率的な手段はとられない。原始的な拷問がそこでは選択される。覚醒され押し開かれた痛覚に絶え間なく、恐怖と絶望と断念と不信と後悔の信号を高速で送り込み続ける。水に関する希望的比喩が死滅するように、血液やリンパ液や涙、汗、涎などの水分が体から絞り出される。この作業は固定化され、意味を付与されているので、例えばそれは子供に買い与える玩具や愛情に感謝するためのクリスマスプレゼントの隣に血染めの白衣の形で置かれている。情報と水分をすっかり抜き取られた存在は最後に夢を管理される。それは管理が想像しえた最後の優しい慈悲として、死にゆく者に施される。光り輝く田園の上を美神と勇者がともに手を携えて飛行するという危険な夢が瀕死の被刑者の最後の幻想として許可されるのだ。管理にとっては危険な破壊的な幻想であっても、死の国に行くものにとってはそれはただの無害で衛生的な幻想に過ぎない。

1985年 英国 テリー・ギリアム監督