ライフ・イズ・ビューティフル/裸で狼の群れの中に

 アカデミー賞を賑わした「感動作」、「ライフ・イズ・ビューティフル」、この映画の謳いあげる人間性の勝利というテーマに酔い痴れるには、私はあまりに多く戦争の惨事を知りすぎていた。収容所に送られた少年が奇跡的に生還するという話を聞かされても、ありえない、という思いが先に立つ。ナチスユダヤ人絶滅の鉄の意志はここイタリアまでは薄められてしか届かなかったということだろうか。しかしホロコーストに対して人間性が勝利するという話を私は一切信用しない。人間というものを根こそぎ破壊するホロコーストにあっては、自分が虐死するのはまだ幸運なほうである。耐え難いのは身内の人間の無惨な死に直面させられることだ。それを救い得ない自分の無力さを思い知らされることは身を切られるより辛い。しかしもっと辛いことがある。自己の延命と引き換えに身内の人間を売るところまで追い詰められ、ついには売ってしまうことだ。そして命を生きながらえても、その後は空白の魂を抱えて生きなければならない。エリ・ヴィーゼルが悲痛な文章で書き記しているところだ。自死の機会を与えられればまだ幸いである。魂のない生よりは。
 街の名士がユダヤ人問題に全く無関心なところを示すくだりなど、この映画はすぐれたナラトロジーを見せる部分もある。しかし全体的にはあまりに楽天的で虫が良すぎる映画だ。この映画と対比するために、私が思い起こしたのは「夜と霧」でも「シンドラーのリスト」でもなく「裸で狼の群れの中に」という古い映画だった。なにしろ見たのが大昔過ぎて、覚えているのは強制収容所とそこで繰り広げられる拷問の恐ろしさぐらいだ。この映画に較べたら「ライフ・イズ・ビューティフル」なんてノー天気な映画だ、と言おうとして、改めて「裸で狼の群れの中に」の話の内容を調べてみて驚いた。私が全く忘れていたことだが、この映画も収容所に少年を匿いその命を助けるという話だったのである。全く忘れていた。最後にソビエト軍が収容所の解放に来たときに、逃げる間際に証拠隠しにナチスが囚人たちを殺していくシーンがあまりに強烈で、その余のことは忘れてしまったものらしい。これでは対比にならない。というより、ベニーニ監督は先行するこの映画を参考にしたのではないか、と思えるほど似通った話だ。これは実話なのかフィクションなのか。原作者は実際にドイツの収容所にいた人間だという。またベニーニもその父は強制収容所経験者である。ホロコーストにそれだけ近い人が、現実逃避的なありもしない話を拵えるものだろうか。にわかに「ライフ・イズ・ビューティフル」をおとぎ話と見る確信が薄れていく。極めて稀な幸運な例としてそのようなこともあることを否定しない、と苦しくも自分のスタンスを修正した。しかしその幸運がホロコーストに対する人間性の勝利の証だとすることは出来ない。
 「裸で狼の群れの中に」ではまだ若いアーミン・ミューラー・シュタールの演技を見ることができる。デビューしたときは既に老人になっていたと思っていたこの俳優は、西ドイツに亡命する前は東独で成功していたらしい。西側で再デビューしたとき既に五十代になっていた。

ライフ・イズ・ビューティフル
1997年 イタリア ロベルト・ベニーニ監督
「裸で狼の群れの中に」
1963年 東独 フランク・バイヤー監督