パール・ハーバー

 この映画を、他のハリウッド恋愛映画同様に楽しんで見れる人がいわゆる戦無派ということになるのだろうか。私は戦中派ではないが、決してこの映画を平静には見れないという点では、十分に戦後派である。チャラチャラした恋愛を他ならぬ日本の悲劇たる「太平洋戦争」に絡ませるだけでも噴飯ものだと思うくらい、もしかしたら頑迷な右翼であったりするのかも知れない。つまりこの映画は絶対見たくない映画だった。第一、見る前に内容の見当はつく。誰が見る前に話がわかってしまうような映画を見るだろうか。しかし悪口は見てから言うべきであると思って機会を捉えて録画しておいた。その後も見る気にはなれず、ずっとそのままになっていたが、そのうち録画の容量が一杯になったので、アキを作るためにようやくこの映画を見た。見たというより、早送りして、最後のほうだけ見た。奇襲攻撃が終わったのでやれやれ映画も終わりかと思ったら、恋愛のこじれの話とかでまだまだ続く。
 この映画の嫌いな点を上げると、①戦争と恋愛モノとを野合させていること。②日本の描き方が相変わらず中国との折衷のようであること。日本語は比較的キチンと発音されているが、どこから見ても少しズレている日本の姿を見せられる。③長すぎること(183分)。これは、真珠湾だけで終わるとアメリカがやられっぱなしなので、その後のアメリカの東京空爆まで話を伸ばしているからだ。どうせなら原爆を落とすところまで伸ばしたらどうか。それで報復が済んだと得意満面のアメリカ人を映してくれたらよい。
 ①は敗戦国側からすれば当然の反応ではないか。アメリカにしてみれば、戦争という惨禍の中で花開いたロマンスということになるが、日本にしてみれば、国土を焦土にされたうえに、その張本人に恋愛までされたら立つ瀬がない、ということになる。問題は、これだけの圧倒的物量で作られた映画が、歴史の事実を歪曲し、新たな事実を構成してしまうことだ。日本軍が機銃掃射で民間病院や民間人を攻撃したり、海面に浮いている兵士へ機銃掃射をするシーンがあるが、それが真珠湾攻撃時の事実になってしまい、「トラ ! トラ ! トラ ! 」で描かれた、民間人への(意図的な)攻撃はなかったという事実は完全に消え去ってしまうだろう。この事実の誇張・歪曲は、ただ主人公たちの恋愛の希少性を高めるためにだけ呼び出されている、それが戦争という物語と恋愛という物語の野合とされるゆえんである。
 思想戦の武器としての映画を扱った本に、柴田芳男著「世界映画戦争」があるが、現在入手不能らしい。

2001年 米 マイケル・ベイ監督