夜霧よ今夜もありがとう

 往年の日活映画のパセティックな魅力が、もしかしたら味わえるかと少し期待したが全然ダメだった。日活がすでに経営が左前になり、ロマンポルノ路線に転じる直前の映画だから仕方がない。作品解説に「カサブランカ」を大胆にアレンジして、とあるが、それって盗作じゃないの。どこかに原作料でも払っているのか。それに「めぐり逢い」も入っているし。当時の日本は今の中国の如くナイーブに知的財産を侵害していたのか。これでは「ライオンキング」が「ジャングル大帝」に似ているからと言って文句は言えない義理だ。
 とにかく、他ならぬ裕次郎に、「そんなに拗ねるんじゃない、男らしくしろ」、と言いたくなるような話だ。後半はもちろん男らしくなるけれど、ラストでピアノを弾きながらまだ未練な歌を歌っている。「カサブランカ」も「めぐり逢い」もそんな未練な映画ではない。「めぐり逢い」のデボラ・カーなど、交通事故で脚を怪我したことをさっさと言ってしまえばいいのに、と思うくらいである。日本人と西洋人を比較して、日本人のほうが言い訳をせず沈黙を愛する国民性を有すると思われがちだが、こういう映画を見ると全く逆のように思える。
 この頃の映画は、その放送に際して、ほとんど必ずと言ってよいほど、「現在は使われない表現が使われていますが、原作を尊重し云々」、という断り書きが出されるが、どんな言葉だろうと見ていたら、「黒んぼのあいの子」だった。ひどい。「二十四の瞳」ではまだ「めくら」だったからいいようなものの。

1967年 日本 江崎実生監督