ウィンド・トーカーズ

 これは「プライベート・ライアン」(1998)と同様、戦闘というもののリアルさを、まるで旧来の映画とは別の次元まで押し上げて見せた戦争映画だが、アメリカ対ドイツの場合、スッゴーイとか言って見ていたその戦闘シーンも、サイパン島の戦い、すなわちアメリカ対日本となると平常心では見ていられない。数多く作られたベトナム戦争の映画はもとより、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を扱った映画は、私を始め多くの日本人にも消費され、享楽されてきた。太平洋戦線もできれば娯しめればいいのだが、ニコラス・ケイジの澄んだ青い目に、酷薄な現実に立ち向かい、そして打ち克つ人間の象徴を見出して感銘を受ける、という映画の強力なマジックに単純に魅せられるわけにはいかないだろう。そのためにはサイパン島で鏖殺された日本人のことを忘れる必要がある。太平洋戦線を描いたアメリカ映画は、戦争中の戦意高揚のための宣伝映画をのぞき、戦後は1947年の「硫黄島の砂」から2006年のイーストウッドの「硫黄島二部作」まで、数多く作られている。制作年度の違いによって、アメリカの日本の見方の違いが出てくるのが面白い。最新の、イーストウッドの作品には、アメリカ人のフェアネスという美徳がうまい具合に発揮された、良心的な作画姿勢が感じられる。しかし、2002年制作のこの映画には、冷戦時代に作られた「トラ ! トラ ! トラ ! 」や「ミッドウェー」にある日本への配慮のようなものは感じられない(前者は日米共同制作なので当然としても)。この映画を見た当時は、アメリカはもう日本に何の気兼ねもしていないのかと思い、少しうすら寒くも感じられたのだが、戦闘のリアルを描くという意味で、「プライベート」同様に、敵味方いずれにも正義の御旗を持たせないという姿勢がそのような印象を生んだのだろう。アメリカにも臆病な兵士はおり、ドイツにも卑怯な兵士はいる (ただし映画では前者が後者を撃ち殺すのだが)。1967年の「特攻大作戦」のように、ナチ憎さのあまり大勢のドイツ将校をその妻もろとも地下室に閉じ込めて焼き殺し、そこからカタルシスを得ていたような映画とはだいぶ違う。それにしても、戦争を通してかけがえのない友情を知る、というのが冗談ではなくこの映画の訴えたいことだとしたら、そのあまりのナイーヴさには驚く。友情というより、恐怖と陶酔を通しての同胞との一体感ということであれば、ビリー・ジョエルの歌「グッドナイト・サイゴン」がみごとにそれを現しつくしているのではないか。「バンド・オブ・ブラザーズ」はヨーロッパ戦線でのこの一体感を表現した映画なのかも知れないが、あいにく未見である。

2002年 米 ジョン・ウー監督