あの夏の子供たち

 これはいわゆる「泣ける」映画というものらしいが、子供たちである三人の姉妹のスリムな肢体に新鮮なものを感じるくらいがとりえの映画で、泣けるというものではない。私は、泣ける映画というものに、あまり価値を置かないのでしょうがないが、それより自殺してしまう父親の無責任さにあきれるほうが先に立つ。まるで芸術家なみの我侭さだが、人はプロデューサーという職業を芸術家と認めるだろうか。それはあくまでも実務家であり、周囲も彼に実務を求めているが、芸術家という自己規定が結局は自らの破産を招く。複雑な力が交錯する映画製作の現場の、その全体の統括者が芸術家であっていいわけがない。よくそれでこれまで何本かの映画を作ってこれたものだ。
 最後に、アンチ・ハリウッド映画のはずのこの映画に「ケ・セラ・セラ」が、それもドリス・デイの歌が流れるのは、ほとんど作品世界の崩壊としか思えない。ベースのテーマ・メロディーはヨーロッパ・リアリズム風のセンチなものだっただけに。
 いきなりの乱暴なハリウッドの闖入による崩壊。その崩壊の軋みがカンヌ映画祭なる政治的な場所で「ある視点」と見做されただけなのだろう。それにしても、悲しみにくれさせるためだけに子供をダシに使うのはやめてくれ。

Le pēre des mes enfants 2009年 仏 ミア・ハンセン=ラヴ監督