ローマの奇跡

 病気が治ったり死人が生き返ったりする、キリスト教的な奇跡に私は弱い。そのような奇跡を希求してやまない、人間の不幸な生存の条件に身をつまされてしまう。「俺たちは天使じゃない」で、水没したマリア像が溺れかかった人間を(木像のその浮力で)救うシーンなどでさえ、涙が出掛かってしまうのだ。「ベン・ハー」の最後で癩病から快癒するシーンも、理性的にはまるで受け入れられないが、その前のキリストの<悲しみの道行き>のところから見ていると思わず涙ぐんでしまう。それだけに、この映画で初めて知った、バチカンの奇跡や聖人を認定するシステムは実に興味深かった。
 幼い愛娘が、突然何の前触れもなく、まるで糸が切れた人形のように死んでしまう、というショッキングなシーンでこの映画は始まる。まるで「彼岸過迄」で描かれた、漱石の娘「ひな子」の死のように、突然の原因不明の死である。死因すら不明という理不尽な死に父親は身も蓋もなく悲嘆する。その12年後。墓地の移転が契機になって娘の墓を掘り出すと、中には死んだ当時のままの娘がまるで眠っているかのように生気を帯びた顔で横たわっていた。村中が大騒ぎになり、やがて村人のカンパにより父親は娘の「遺体」を鞄につめてローマに向かう。奇跡を認定してもらい、娘を聖人に列する為に。ところが驚いたことに、法王庁には同様の奇跡認定を申請する人たちが、門前市をなす態で大勢押しかけていたのだ。
 ローマに滞在できる時間は限られている。認定のための審査の順番を早め、また審査自体を有利に取り計らってもらえるよう、国の大使たちは政治的画策に動き出す。父親は娘という聖人をとりまくそんな世俗的な動きに違和感を覚え、大使の介入を排して単独で申請活動を続ける。そんな父親の無知な熱意を利用して、司教に扮した詐欺師が父親をたぶらかし、金をすっかり巻き上げてしまう、という思わず笑ってしまう一場面もある。一方で折角の政治的チャンスをムゲにされた大使たちは、「情を憎」んで娘の「遺体」を街中で持ちあることの違法性をあげつらい、父親に娘の埋葬を迫るのだ。
 やがて父親は知る。聖人が娘ではなく自分自身だったことを。父親の娘を思う気持ちが奇跡の原動力だったのだ。いよいよ扉の外に娘の「遺体」の引渡しを求める警官が迫ってきたとき、父親は娘に呼びかける。「もういい加減に起きなさい ! 起きないとアイスクリームが溶けてしまうよ ! 」すると、たった今眠りから目覚めたように大きなあくびをして、娘は何ごともなかったように目を覚ました。
 こういう超常的な話を一気に見せてしまう、この映画の映像力の強さ。原作はガルシア・マルケスの短編小説「マルガリート・ドゥアルテの長く幸福な生涯」である由。


1988年 コロンビア・スペイン リサンドロ・ドゥケ・ナランホ