ローマの休日 (1)

 存在しない王国の、存在しないプリンセスと、遍在するアメリカの、遍在する青年との恋の物語。
 新聞記者ジョー・ブラッドレーは、会社に遅刻する。大きな時計台の針が彼に、世界から彼が遅延していることを告げる。彼はローマの街の陽射しの中に飛び出していく。そしてなんとか上司を言いくるめ、ごまかしてしまおうとする。こんなシーン一つにも私は生きているという喜びを感ずる。彼の試みがうまくいったのか、失敗したのか、それはどうでもいい。肝腎なことは、彼が自分より先に行ってしまった世界にあくせく追いつこうとするのでなく、逆に自分の手元に引き寄せようとする、そのプラグマティクな快感にある。ポーカーで負けがこまない人生なんてつまらない。友達を拝み倒して借金できないような人生なんてつまらない。そして一発逆転のスクープ記事が夢見られない世界なんて。

 後年、私はローマの街を歩く機会を得た。コロシアム。スペイン広場。トレヴィの泉。真実の口の広場。テベレ川の畔のサンタンジェロ城。真実の口の広場で観光客が無邪気に口の中に手を入れて記念撮影をする、そのことが私にはどうしても出来なかった。この映画の世界ははるか彼方の過去にある。私はこの世界からは否応なく先に進まされている。その一方で現在を示す時計は、私が遅刻していることを示していた。その自分の位置づけがうまく出来ないという焦燥感に捉えられていた。アン王女も存在せず、ブラッドレーでもない私の姿を写真に収めるつもりにはなれなかった。私は明らかに遅刻している。誰かを言いくるめ世界を手元に引き寄せるすべはなく、私は現実に追いつくよう息せき切って駆け出すしかなかった。

1954年 アメリカ ウィリアム・ワイラー