ローマの休日 (4)

 「ローマの休日」の原作者がダルトン・トランボだと知ったときは軽い衝撃を受けた。何度もこの映画を見るうちに、その原作・脚本家であるイアン・マクラレン・ハンターの名前も知るようになった。一方でトランボの小説「ジョニーは戦場へ行った」を読んでいたが、通常であれば全く無関係で正反対ですらある、この恋愛映画と戦争小説が突然結びついてしまった。イアンは当時マッカーシズムによって禁固刑の実刑を受け、映画界から追放されていたトランボに名義貸しをした友人の名前だった。あのような痛切な戦争小説(邦画「キャタピラー」のモチーフとなっている)を書き、かつその後映画界から手ひどい仕打ちを受けた人間が、このような空想的で非現実的な、しかしこの上なく美しい物語を書いたことに何か悲痛なものを感じた。彼は本作でアカデミー原案賞を受賞するが、当然名乗りを上げることは出来ない。三年後の「黒い牡牛」でも原案賞を受けるが、このときもロバート・リッチというペンネームを使っていた。調べてみると、ようやく映画界に復帰が適ったあと、「スパルタカス」や「栄光への脱出」という大作の脚本を書いている。そして「いそしぎ」や「ダラスの暑い日」、「パピヨン」なども彼の手になるものであることを知った。ベトナム戦争中に自ら監督した「ジョニーは戦場に行った」でカンヌ国際映画祭での賞は受賞したが、ダルトン・トランボという本名ではついに本国のアカデミー脚本賞は、その候補にすらならなかった。1993年になってようやく故人に最優秀脚本賞が贈られ、未亡人がそれを授賞した。