インドへの道

 デビッド・リーン監督の、いかにも大作を作るぞという手つきが、この映画にもある。しかし、すぐに気がつくことだが、この大作の下地には、映画製作史上、これまで大作というものを大作たらしめていた、歴史の大きな動き、人間の価値観の大きな変貌というものはない。なるほど植民地時代のインドを描き、イギリス人の横暴とインド人の屈折した抵抗を描いてはいる。しかし、それらはあくまでも借景であって、監督の(あるいは原作者E.M.フォスターの)真の関心はそこにはない。最大の力点は、ただの年端のいかないイギリス娘の性的妄想にある。その妄想と、それが招いた悲喜劇とを描きたいために、これだけのロケとエキストラの動員という手間隙を惜しまなかった。考えてみれば、これは変な情熱ではないか。一人の娘の妄想のために暴行の嫌疑をかけられ、裁判に勝ちはしたものの、その後の人生を大きく狂わされる、インドの貧しい青年医師。彼の味方はイギリス人の大学教授と、妄想娘の将来の義母(フィアンセの母、しかし、結婚はならなかったので結局他人のまま)である。大学教授のほうはともかく、この義母の方は、ゴタゴタが嫌だからと言って、青年が困るのを承知しながらイギリスへ帰ってしまう。そして途中船の中で急死してしまい、青年を徹底的に窮地に陥れる。もし、妄想娘が法定で訴えを撤回しなかったら、彼は社会的に抹殺されていただろう。大学教授はその後この義母の娘と結婚してインドに帰ってくる。青年医師を探して自分の妻になったその娘に引き合わせると、青年はかつて自分に優しくしてくれた(人間扱いしてくれた)義母の面影をその娘に見出し、しばし感興に耽る。彼の悲劇は帰するところ、結局イギリス人におもねてしまう彼の性格にあるのだろう。あるいはそれは医学という彼の選択した学問の系譜によるのか。イギリスの文明を素直に賛嘆し、かたやインドの陋習を嘆くあまり、つい必要以上にイギリス人に親切にしてしまうという彼の行為に悲劇の原因は帰するのである。
 例えば、日本の幕末を描く映画があったとして、その話の中心がイギリスのサイコ娘にあって、彼女に翻弄される志士が描かれたら、相当違和感を覚えるだろう。この映画はあたかもそのようなものなのだ。
 イギリス人の小娘の描写に費やされたエネルギーと、片やインド人の描写に与えられたエネルギーを比較考量すると、ここに新たなイギリス人の植民者根性が透けて見えるような気がする。コンビのモーリス・ジャールの音楽が少しも耳に残らなかったが、それは当然なのだろう。モーリス・ジャールがその腕を見せるべき大作映画では、けっしてこれはないのだから(とは言ってもアカデミー作曲賞を受賞しているけれど)。

1984年 イギリス・アメリカ デビッド・リーン