ガラスの部屋

 映画ファンとして長生きして損したと思うことが二つほどある。
 ひとつは「鉄道員」(1956)。イタリア・リアリズムの重厚なこの映画が、浅田次郎により「ぽっぽや」という気が抜けるようなふり仮名がつけられてしまった。わたしなどより旧国鉄、私鉄関係の人たちはどう思っているのか気になる。
 もう一つがこの「ガラスの部屋」で、同じく、重厚なもの→軽薄浮調なものへの転落なのだが、一時私の心を奪ったこの映画の主題歌が、「ヒロシ」によってコミカルなものになってしまい、なんだかこの曲の曲想には浸りづらくなってしまった。
 You Tube でこの映画はほぼ全編を見ることができるが、今見てみるとまぎれもなく「1968年革命」当時の映画で、当時の学生運動の様子などが出てくる。そしてその運動に身を投じていた、ラブロック扮するグイドは金持ちであるのみならず何と貴族だったのであって、とにかく今で言うところのBL漫画そのままの幻想的な美貌と見えたが、ラブロックが魅力的だったのはこの映画だけで、「屋根の上のバイオリン弾き」(1971)では早くもその魅力は色あせていた。

1969年 イタリア セルジオ・カポーニャ