フライド・グリーン・トマト

 「アメリカン・ニューシネマ名作全史3」の解説には、「魅力的な映画ではあるが、過去のエピソードに残酷に過ぎる部分があり、けっして心地よい映画とは言えない」とある。映画を心地よさの軸で評価するのは確かにその人の勝手だが、少なくとも映画批評家という職業人の評としてはどうか。というより「心地よくなさ」を難ずるなら難ずるで、そこに芸があろうというものだ。「残酷なエピソード」とは、イジーの兄が列車にひかれて轢死したり、長じてルースの息子が同じ事故で片腕をなくしたり、ということを指しているのだろうが、私などはその極端にドライな描出ぶりに、むしろさわやかさを感じたくらいなのだ。日本映画なら間違いなくそれぞれの場面で「心地よい」愁嘆場が演じられたことだろう。あるいはそのエピソードとはルースの暴虐な夫を殺した後その死体をバーベキューに見せかけて焼いてしまったということを指しているのかも知れない。さらには、その肉を執拗に追求する保安官に食わせてしまったということかも知れない(このへんは、映画を見た限りでははっきりわからない)。確かにこの辺は気持ちの悪い部分である。しかし、その点に引っかかる暇がないくらい、ジェシカ・タンディが演ずるニニーは素晴らしいし、最後にニニーがイジー(ビー・チャーマー)だったのではと思わせるシーン(これも必ずしもはっきりしない)の物語の完結ぶりが素晴らしい。長い長い物語を語り来たって、現在がここにある、という提示の仕方にさわやかなカタルシスを感ずる。
 エブリン(キャシー・ベイツ)が唱える正体不明の魔神「トゥワンダ」と、謎の古代文明の交錯地(キリストの墓があったりする !)としての東北青森の「トワダ胡」とは何か関連があるのではないか。

1991年 アメリカ ジョン・アヴネット