夜も昼も

 同じコール・ポーターを扱った映画「五線譜のラブレター」(2004)と見比べるのも面白い。この二つの映画は、およそ六十年ほどの時間を隔てて作られているので、同じ曲でも曲想が全く違うように聞こえる。その洗練という点では新作の方になるのだろうが、ダンスシーンも含めて、ショーミュージックとしてはかなり高尚なポーターの音楽が堪能できるのはむしろ旧作の方だと感じた。しかし、物語そのものを楽しむという点ではこの旧作は少し物足りない。「五線譜」ではポーターがゲイだった事を明かしているし、彼の放蕩ぶりも描かれているが、旧作は堅気にならず作曲家になった事以外は、きわめて品行方正な男として描かれている。ケーリー・グラントの演技力ではそれが限度という事もあるかも知れないが、とにかくそれでは彼の作曲に対する衝迫がまるで感じられないし、いくら家庭を顧みないからといってポーターを怨む奥さんの気持ちも、恵まれた女性が抱くただの不満に過ぎないものとしてしか感じられない。
 レビューやミュージカルが性を隠蔽した演劇を見せるように、この映画自体も性が秘匿された、極めて清潔なものとして仕立て上げられている。新作では、ポーターはちゃんと主演の男優と関係を持っているが、この旧作では、興行主たちがオーディションに来た人たちの生殺与奪の権を握っているというのに、その彼ら・彼女らと何事もない。今から見るとこの表現の地平は、時代が有していた節度というより、ピューリタリズム的、あるいはヴィクトリア王朝的な偽善というふうに感じられる。

1946年 米 マイケル・カーティズ