沈まぬ太陽

 「うまく」生きることと、「まともに」生きることとの落差。我々は永遠にまともにかつうまくは生きえない条件下にあるのか。しかし、この映画で、うまく=悪人、まとも=善人として、特に前者がいかにも悪役面で出てくる(特に、国民航空取締役八馬/西村雅彦)のが少し分り易すぎる。どちらともつかない顔をしている人間(たとえば労組書記長八木/香川照之)は只の弱者で、アル中になったり自殺したりするのである。実際はうまく生きているだけの人間でも、自分の観念としては善の中にいるわけだから、そうそう分りやすい悪の顔をしているわけではない。善悪が二元的に対立しているわけではなく、主観的善どうしがぶつかりあっている、それこそが人間の共存の実際なのだ。
 前半まともに、後半にうまく生きる労組副委員長、後取締役行天/三浦友和の顔が、どちらともつかないニュートラルな表情を帯びていたのが一番実際的な人間の顔だと言えるが、単にそれは彼の整いすぎた顔が与える印象に過ぎないのかも知れない。

2009年 日本 若松節朗