ウォール・ストリート

 世界金融危機を経験した、というよりそれを引き起こした張本人のアメリカが、「ウォール街」の続編を作った、ということでいやが上にも期待は高まったが、まったく面白くもない映画になってしまった。前年のマイケル・ムーアの「キャピタリズム マネーは踊る」の社会批判性など微塵もない。オリバー・ストーンサブプライム・ショックやリーマン・ショックなどをどう考えているのか。ただの不運な奴がバカを見ただけ、そのあともマネー・ゲームは続く、と見ているだけのようだ。これではいい映画が生まれるはずもない。いや根本的にアメリカの商業映画はその構造からして資本主義の批判など出来ないのだ。脚本制作者の、スティーヴン・シフ、アラン・ローブといういかにもという名前が妙に腑に落ちる。資本主義世界と常に対比される恋愛ストーリーもいい加減で、適当に拵えているだけ。結果的に、骸骨のようにやせこけたイーライ・ウォーラックや間抜けに太ったチャーリー・シーンや老衰したマイケル・ダグラスなど、見たくもないものを見せられるハメになった。
 ブラック・マンデーの起きた年に公開された「ウォール街」では、一応マーティン・シーン演ずるバドの父親によって、製造業(機体整備というサービス業だが)や実体経済に希望をつなぐ形で終らせている。しかし実はその後も経済を支配したのは実体経済ではなく金融経済だった(マヌケなチャーリーがまるでその父の期待を完全に裏切ったことの象徴のように見える)。そして今回登場する投資家は、前作の英国貴族ではないが、彼らと同じように老獪でインテリジェントな中国人である。
 「ウォール街」が作られた1980年代後半は、まだ日本の終身雇用や家族的経営などがもてはやされていた。それらは実体経済には適合しても金融経済には適合しない理念である。日本の優位性は大幅に後退し、日本は金融経済の敗者となってしまった。終身雇用や年功序列などは、日本が単にお人よしな国だったことの証拠に過ぎなくなっているかのようだ。
 映画を見る愉しみの一つに時代の先端性に触れて刺激を受けるということがあるが、「ウォール街」にはそれを感じることができた。「ウォール・ストリート」にもわずかにそれを感ずることができる。しかしそれは先の見えない時代に絶望的にただ現在だけを享楽することに似ていた。この先には未来を開く展望は何もない。となると日本的経営が形を変え新しい美徳として復活する目がもしかしたらあるかも知れない。

ウォール街(Wall street) 1987年 オリバー・ストーン
ウォール・ストリート(Wall street: Money never sleeps) 2010年 オリバー・ストーン