マネー・ゲーム 株価大暴落

 金融崩壊以前には、アメリカの証券取引監視体制はかなり厳しいものという印象があったが、2000年のこの映画で早くもそれが穴だらけであることが明かされていた。どの世界にも穴というものはあるものだが、アメリカの証券市場という狭い世界にとどまらず、まさにこの世界全体を相手にして、そこにある「穴」につけこもうとする人間たち。「環境なんか知ったことじゃない、儲けるだけだ。負け犬になるな」と嘯きながらあぶく銭を手にするその姿勢は、そのままアメリカという国そのものだ、と当時は思っていたが、それは短見だった。アメリカの上にあるもの、アメリカを支配しているものを見なければならない。「国」というものに寄ってたかってそこから利を得ようとする勢力が常に存在する。それは近年の話ではない。バルザックを読めば、貴族やブルジョワがいかに国家にたかり、国債や年金の特権を得ようと画策しているのかが良くわかる。国債が安定した利子を生むように国債の所有者は、国に一定の成長を求める。国内が頭打ちになれば、海外に出て行けと要請する。無産階級という兵隊にするのに恰好の人間たちもいるではないか。
 この映画では「ウォール街」(1987)が引用され(まともなスーツを買え)、さらに「摩天楼を夢見て」(1992)が引用され(常に、クロージング、契約まで持ち込め)ている。やはり他人から金を奪い取るだけの仕事なのだと承知していても、何かそこによるべきイメージを求め、まっとうな勤め人に見えるようなスーツを着ることで、そのイメージに安住したいという欲望があるのだろう。そのような虚偽のイメージを提供するものには、映画であれドラマであれCMであれ事欠かない世界である。

2000年 米 ベン・ヤンガー