ノーマンズ・ランド

 この映画からはボスニア紛争の凄愴さのほんの一端しか伺えないが、その一端だけでも国連防護軍UNPROFORの政治的、衆議的無力ぶりとの対比が際立って見える。
 ボスニアセルビアの兵士が塹壕の中で対峙するが、すでにそこには「太平洋の地獄」における三船敏郎とリー・マーヴィンの対決の雄姿はない。もちろん後者の方が虚構の度合いが高い。1968年、まだギリギリ戦争と男の美学というものが生きていた頃の映画だ。2001年のこちらの映画は、二人の間に一時休戦状態が現出し、宥和が可能かと思わせるまでになる。しかし、二人の間に存在する現実は混沌としたままで、ただ、たまたま銃を手にしたほうが正義と真理を語りえ、混沌を一時整序することができるだけだ。この一方的正義の力によって最後は二人とも死んでしまう。地雷を仕掛けられた第三の兵士も、ただ技術的救済手段がないという理由で見捨てられるのだが、それ以上に国連の責任回避の犠牲になったという印象を残す。
 ①正義とは二者間の利害と価値観の問題でしかない。
 ②調停者たる第三者の正義は、この二者のそれとは何の関係もない。
 ③銃を持つほうが正義である。
 ボスニアで起きたことは、このように結論づけるしかないかのようだ。「太平洋の地獄」も同じだが、こちらはそのあと④男同士意気に感ずる、という要素がつけ加えられる。この虚構はもう復活不可能だ。正義の奪還は人間の精神を殺し、銃弾は肉体を殺す。ボスニアをどのように反省しても、互いに殺しあわざるを得ない人間の生存の条件は不変だろう。

2001年 ボスニア ダニス・タノヴィッチ