ドクトル・ジバゴ

 テーマ音楽は高名な「ララのテーマ」だが、それにしても、仮にも人間の生涯の物語が、このような抒情的なメロディーのテーマ音楽とともに語られるというようなことは、もう二度とないような、歴史的な、一回的な、不可逆な出来事だったような気がする。今や人間の内面はこのようなメロディーが抒情するには、あまりに不定形なものに変質してしまっている。デビッド・リーン監督の五年後の作品「ライアンの娘」(1970)では、なんとか悠久の物語を作ろうとする意図は辛うじて残存しているが、その意図を本来は援護すべきテーマ音楽が、もはや前面にでてこれない、という状況にすでになっているのを感じた。両方とも音楽はモーリス・ジャールで、「ララのテーマ」はアカデミー作曲賞を受賞している。
 この映画では、ロシア革命という時代の波に翻弄される人間たちが描かれるが、この革命がやがて破綻していくであろうことは、詩人ジバゴが、貞淑だが面白みのない妻トーニャ(ジェラルディン・チャプリン)より、肉感的で奔放な戦地の看護婦ララ(ジュリー・クリスティー)に惹かれていくという心理の中で、すでに予告されているもののように思う。

1965年 米・伊 デビッド・リーン