海の上のピアニスト

 最近、「感動作」として紹介される映画をときたま見かけるが、「感動作」などという映画のジャンルがありえるのか。このような紹介は逆に、観客が感動というものに偶然に幸福に出会うことを阻害するだけのように思われるが。むしろ「感動作」と言われたら、「ああ、昔の、とっくに死滅した物語のパターンをなぞっている映画だな」と思ったほうが良い。
 この映画も、―豪華客船の上で生まれ育ち、一度も船を降りなかった天才ピアニストの一生を描いた感動作―として紹介されているが、果たして本当に感動した人がいるのかどうか聞いてみたいものだ。以下、欠点をあげつらってもしょうがないが、最大の欠点はエンニオ・モリコーネの音楽が良くないことだろう。むしろ普通にクラシックかジャズのスタンダードな名曲でも使ってくれたほうが良かった。もっとも本作ではピアノ曲は全て主人公が独自に作曲したものという設定なので、最初から無理に話なのだが。本作のテーマ音楽とも言うべき、主人公がレコードに残した曲は、本作に何度も出てくるが、何度聞いても何も感ずることがなく、映画が終った後も何回か聴いてみたが感想は変わらず。一観客にとって、これは致命的な問題 (私は坂本龍一の音楽の良さもわからないので、この点は自分の音楽素養のなさであることを認めます)。
 一旦口にしたら不満は止まらないので、全部言ってしまうと、主演のティム・ロスが不適。彼の場合、「奴らに深き眠りを」でダッチ・シュルツに扮した時などの、凶悪なイメージが強烈過ぎて、この小心のピアニストを演ずるにはふさわしくない。彼がひと目で恋に落ちる少女(メラニー・ティエリー)も何か決定的な魅力というものには欠いていた。見せ場のピアノ対決のシーンは、本作で一番見せる場面ではあるけれど、これこそ「指のサーカス」の腕比べに過ぎない。大体、勝敗を何で決めたのだ。こちらはむしろ相手方のジャズ演奏のほうに、この映画で唯一の音楽的感興を得たというのに。
 最後、「感動作」らしく、主人公が少女への愛のために、陸地恐怖症を克服して船から下りる決断をする、という話にしてくれたらまだしも(それで感動できるかはともかく)、主人公は船内にとどまり、船が廃船になってもなおも外に出ようとしない。船から外に出られない理由を、主人公がグダグダ語るあたりは、ただ情けないだけで聞いていられない。同情し、憐れむだけである。主人公の友人も諦めて、彼は海の藻屑と消えたとかなんとか、感傷に耽るが、本当に友人のためを思いその才能を惜しむなら、彼を拉致してどこか地下のナイトクラブか何かに強引に押し込め、ここは船の中だと言いくるめて、そこでピアノを弾かせるという手がないわけではない。
 とにかく「感動作」というものは、喪失を急ぎ、悲嘆に傾き、感傷をむさぼるものであるらしいから、ご用心。

1978年 イタリア ジュゼッペ・トルトナーレ