僕のピアノコンチェルト

  自らの天賦の才を重荷に感じて、その才を隠し凡人を装う少年、という極めて贅沢な話。親や周囲の人間の期待という重圧に苦しむあまり心に傷を負う子供、という映画はままあるが、これはその対極にある物語だ。子供のほうが一枚も二枚も上手なのだ。少年の天才はピアノのみならず、蓄財の面にも発揮され、インサイダープラス空売りで莫大な財を手中にする。そして金で解決できる問題は金で解決してしまう。その天才少年ヴィトスを演ずるテオ・ゲオルギュー本人もピアノの天才少年なので、演奏シーンも堂に入っている。もともとアチラの俳優はピアノの素養があったり、猛特訓をしたりするなどして、迫真的なピアノ演奏の演技ができる役者ばかりである(これに較べると「四日間の奇跡」の吉岡秀隆は少し残念)。しかしテオの演奏には、その音色に表情をつけるための指の動きといい、やはりただの役者の演技とは一味違うものがあるのを感じた。
 その天才少年が青年に成り、NHKの「スーパーピアノレッスン」で講師ならぬ生徒として出演したのには驚いた。この天才になおも「教える」才を持つのがフセイン・セルメットというトルコのピアニスト。もっとも、他の生徒も全員コンクールで優勝するクラスの連中ばかりだし、カーネギーホールでリサイタルをした事もある我が小菅優もこの番組の生徒となり、アンドラーシュ・シフにボロクソに貶されていたりしている。演奏家ごとに得意とする作曲家があり、その得意とする奏目について教えを乞うというのが「スーパーピアノレッスン」の趣旨であるにしても、ピアノの世界というものはつくづく奥が深いものだと思った。それともこれは、ピアノの世界ではコンクールに優勝することのみならず、有名な師に師事するということが出世の要件であるという、クラシック音楽界の政治的事情を語っているだけなのか。

2007年 スイス フレディ・M・ムーラー