楽聖ショパン

 体裁上は正統的なショパンの伝記映画。しかしてその内容は事実と違う点が沢山あるようだ。それに楽聖、と言えば普通はベートーヴェンで、ショパンはむしろ「ピアノの詩人」と呼ぶべき。ショパンに優雅にも扮したコーネル・ワイルド、彼が後年、町山智浩氏言うところの「トラウマ映画」たる、「裸のジャングル」(1966)で文字通り裸でジャングルを逃げ回っている姿を見たときは驚いた。いや、ショパンにしては少し逞しすぎるとは思ってたんだけれど(彼はフェンシングでオリンビックにも出たことがあるらしい)。
 ショパンの映画と言えば、古くは「別れの曲」(1934)、新しくは「即興曲/愛欲の旋律」(1991)、「愛と哀しみの旋律」(2002)があるが、いずれもまだ見る機会を得ていない。意外なところでは「愛人日記」(ビデオ・タイトル<ソフィー・マルソーの愛人日記>)(1991)もまたショパンの半生を描いた映画だということだ。知らなければただの情欲映画だとでも思うところだ。さらに意外なのは、そのタイトルとは相反して、それが観念的・哲学的な作品で、ポーランドの歴史などもよく知らなければ理解が難しい映画になっているらしいということ。だとすると原題をla note blueとするこの映画の件の邦題は、数多いマヌケな邦題のなかでもその筆頭に上げられるべきものだろう。もっとも他のショパン映画の邦題も褒められたものではない。「愛と哀しみの旋律」、などというのを聞くと日本人であるのがイヤになる。「即興曲/愛欲の旋律」もヒドいが、これはヒュー・グラントショパンなので致し方なし。一方、「愛人日記」でショパンに扮したヤノシュ・オレイニチャクは後年「戦場のピアニスト」で演奏を担当したピアニストその人であることを思うと、こちらの映画が真面目に作られたものであることは間違いない。

1945年 アメリカ チャールズ・ヴィダー