リービング・ラスベガス

 猥雑な性の世界と、それとは無縁の、性が脱色された愛の世界が一瞬交錯する。ヒモに虐待され搾取されながら、体を売る以外に生きる道を知らない十六歳の売春婦と、決して更正しようとしないアル中の男。暴力的なまでに挑発的な肉体と深い豊かな表情を合わせ持った娼婦と、退職金の全てを酒につぎ込み緩やかに自殺していく男。暴力的な性をかいくぐりながら、安息の場所を求めている女。女を捜し求め、その肉体と性でつながろうとしながら、夫や父としての役割が無意味になった自分の人生を味わい返している男。街のあちこちで性欲や物欲が歪みながら交錯している。暗い白昼、輝く夜。カジノで、ディーラーから配られる大量の不運とわずかな幸運。ネオンと火花。アルコールから出来た血液と精液と涙はそれぞれの陶酔を持つ。
 男が中毒から自力更生し、女を地獄から救い出して、ラスベガスを去る。それがこの映画の見えないテーマ、タイトルにしか現れていない隠蔽されたテーマだ。観客はおそらくそんな結末に陶酔したいという願望と、そんな都合の良い結末は信じられないという覚醒とを持ちながら、それが丁度、酒への惑溺と苦い覚醒、性の至福とその後の悲哀に通ずることを知る。ラスベガスを立ち去るという願望は、現実には映画館から寒々とした外の現実へ立ち去るという形で、観客にとってこそ否応なく叶えられる。

1995年 米 マイク・フィギス