プルーフ・オブ・ライフ

 民間軍事会社の顧客が誘拐身代金保険会社であるということは、南北間の格差という収奪の構造に、さらに別種の抜け目ない利権が加えられたようなものだ。誘拐されたダム建設会社の社員が、自分の行為が現地の福利を向上させる開発行為であるから免責されるという予見を持っていたことは、愚かなことだった。開発と言えどもそれはやはり巧妙な収奪の手段であることは明白であるからである。経済それ自身に内在している、経済は増長すべきであるという要請に屈し、援助や開発という行為に潜むこの二重性を、我々は良く承知していながら容認している。その容認は、劇中ではメグ・ライアンが夫への貞節を守るという話(クロウとライアンのラブシーンは、撮影されていながら公開時カットされた)と、映画の撮影中のラッセル・クロウとのゴシップのため、夫デニス・クエイドと離婚したという現実との二重性を享楽しているのと同じことなのだ。

2000年 米 テイラー・ハックフォード