アンチクライスト

 16世紀に、女性であるというだけの理由で、女性を魔女として殺戮した歴史を持つ西洋人が、それに懲りるどころか、改めて魔女の実在を宣言し直してみせたという、驚くべき映画。ANTICHRISTのTの字をわざわざ女性のマーク♀としている(これはまた砥石のようにも見えるのだが)。歴史の暴虐に敗北し打ちのめされた西洋が、その歴史の悲惨を凌ぐために、この世のものならぬほどの善を形象化してイエス像を作った。イエスというたった一人の人間の善性が高まれば高まるほど、それに照応する悪が世にもたらされ、イエスが愛を語れば語るほど、この世には憎悪が満ち満ちた。おそらく対称性の保持というこの世の要請に応えるために。解脱を求める仏教は、その対称たるものは煩悩だからまだ実害が少ない。しかしイエスの善がもたらす害毒は甚大である。イエスの聖性を立証するための供犠の生贄として、何度でも悪というものが呼び出される。その悪も陳腐化して役に立たなくなると、さらにその凄愴さを再生しなおすことが要請され、その結果、試写会で何人かが失神してしまったという、こういう「衝撃の暴力シーン」が出来上がるのだ。キリスト教のイコノロジーの知識がないので、悲嘆、苦痛、絶望(という「三人の乞食」)、鹿、狐、烏という動物の意味するものは分からないが、あまり分りたくもないことだし、もったいぶって狐に言わせた「カオスが支配する」などという言葉も、およそ何ほどの意味もないことのように思われる。

2009年 デンマーク、ドイツ、フランス、イタリア、スェーデン、ポーランド
ラース・フォン・トリアー