冬の小鳥

 この世には一定の悲惨さが常にあり、それは決して地上を去ることはない。その悲惨さに、分けても映画というものの中の悲惨さに、心を晦ますことは無益なことだ。私がこの少女だったら―という仮定も無益なことだが、―がむしゃらに生きて偉くなる。そして養護施設に寄付をし、自分を捨てた父親を探し出して復讐する―もし父親が幸福でいたら多分殺害する。この考えも映画と同程度に虚構的なもので、つまり想像して心を慰めただけで、実際に自分がそのような境遇なら、まず100%そのようには生き得ないだろうと思う。ただぐずぐずとこの世を憾んで半生を過ごし、残りの半生はそのことを悔いながら生きていくだろう。この映画は大方の、そのような人々のために作られたかのような映画だ。監督ウニー・ルコントの自伝的映画である由。そうか、映画監督になって映画にする、というより穏やかな報復の手段があったか。

2009年 韓国・フランス ウニー・ルコント