殺意の夏

 ストーリー自体はサスペンスとしてまずまずなのに、内心語りのナレーションで全て説明してしまうので、サスペンスにならない。それに、あーじゃにー、こーじゃにーと話が迂回するために(イザベル・アジャーニのしゃれです)、なんとなくフランス人の野暮ったさが鼻についてしまい、結果的にアジャーニのヌードしかとりえのない映画になってしまった。そのヌードも、キッチンで入浴して見せたり、裸のまま表に出てきたりするのだけれど、作中人物にあまり欲望されていないため、ひどく場違いなものに見える。ボーッとした顔の主人公もただボーッとしているだけで、それほど激越に彼女を求めたわけでもなく、主人公の弟たちはゲイなのかと思うほど、みごとにアジャーニの性的魅力を無視している。わずかに強姦犯に擬せられた男が、それでも不全極まる欲望を彼女に示すだけ。最初にアジャーニの母親が暴力的に強姦されてしまうと、それ以降、性的欲望の発露は禁止されてしまったかのようで、その性欲の不在の場所にアジャーニの裸身が放り出されている形だ。わずかにアジャーニのレズの相手が、アジャーニの欲望の対象となるが、これも不全なままである。端的に退屈な映画。
 とにかく「映画的愉悦」という人生の最大の楽しみの一つをどうやら決定的に喪失してしまったようで、後は映画を腐すことを楽しむしかない。

1983年 仏 ジャン・ベッケル