ムーラン・ルージュ

 三文作家と高級娼婦の悲恋を描くミュージカル。なぜ性愛から区別されて恋愛というものが存在しなければならないのだろうか。性愛へのアクセスが希少な修道院において、性愛に代るものとして発明されたのが恋愛、ということなのか。しかし恋愛が発明されると同時に、不可能性をあらかじめ内包した恋愛(悲恋)というものが性愛の快楽を高めてくれることに人間は気がついたのだ。それ以降、恋愛の模倣が猖獗を極め、悲恋さえもが捏造されるようになって、現在に至っている。なぜマハラジャの富より、貧乏作家の「愛」が大事なのか。それがいくら遠回りのように思えても、与えてくれる快楽の総量が後者のほうが多いからだ。作られた作中劇の虚構の中でそれをなぞるようにクリスチャン(ユアン・マクレガー)とサティーン(ニコール・キッドマン)が愛し合い、その虚構を完結させるためにサティーンが死んでしまうと、またクリスチャンが彼女の死を虚構の物語として捏造し始める。この世に三文作家と高級娼婦という役割はまだ残存しているにしても、性愛のリアルさに目をつぶり、虚構の恋愛劇にひたるということはさすがにもう終焉を迎えつつあるのだが。

2001年 アメリカ バズ・ラーマン