アメリア 永遠の翼

 「アメリア」という、個的な存在を言いつくして余りある、固有名詞だけのタイトルが日本に持ち込まれると、それに「永遠の翼」なる陳腐なクリシエがついてしまう。そしてそれを見る私は、そのクリシエから何か生きる喜びというものが見出せるのかと期待してしまうのだ。しかし、年を取ってゴールデン・レトリーバのような顔になったリチャード・ギアはあまりに善人過ぎるし、ユアン・マクレガーは少々狡猾過ぎて、彼らからは生きる喜びというものは受け取れなかった。飛ぶことにとりつかれ太平洋上に消えたアメリア・イヤハートにすらも、それを感じることができなかったのだからしょうがない。ボーイッシュなヒラリー・スワンクは「ボーイズ・ドント・クライ」以来のはまり役だと思ったけれど。だから「永遠の翼」という、物語に負荷を負わせる言葉が余計なのだ。ただ「アメリア」という個的な存在に向き合うことだけを求める話なのだから。そして少数の幸運な人たちがそこから「永遠」を感じ取ればいいのに、そういう偶然の邂逅の機会を奪い、画一的な「感動」を押しつけてくるような邦題にどうしてもなってしまう。大西洋横断を果たした女性初の飛行士の名前が日本人にはなじみが薄いだろうという親切から来ているのが半分、「感動」を売りたい商魂が半分。

2009年 米 ミーラー・ナイール