突撃隊

 TVドラマ「コンバット」の原型みたいな映画。この映画が1961年で、「コンバット」の放映開始が翌年の1962年だ。後者には、多分この映画に対するオマージュと思われる「Hills are for Heroes」という挿話がある(「突撃隊」の原題は「Hell is for Heroes」)。「コンバット」という、ヨーロッパ戦線を舞台にした戦争ドラマは当時の日本人にも好まれた。テレビドラマなので、基本的に殺戮も傷害も衛生的に描かれ、酸鼻な場面に脅かされる心配はない。邦画で見る日本軍には常に陰惨な新兵いじめが出てくるが、それに較べアメリカの軍隊はなんと民主的で開明的な人間の集団であることか、と感嘆しつつ見ることができる。さらに戦闘そのものも基本的に正々堂々と人間的に戦っている。こういう風に、戦争があたかも男の自己実現の場であるかのように描かれた映画がもたらした、戦争というものに対する幻想が崩壊するまで結構長い時間がかかったと思う。ベトナム戦争で米軍の悪行が暴かれたときでも尚この幻想は残っていた。報道ベースでなく、ようやく映画がその悪行を題材にし出したとき、つまり物語ベースになったとき、その幻想崩壊の契機が生じ、湾岸戦争以降はほぼリアルタイムで届く情報により、人間的な軍隊などというものがあり得ないことをよくよく承知させられた。戦術的局地戦を描くだけでも常にこれだけの欺瞞が忍び込んでくるのだから、戦争そのものの大局的見地を描く場合にはさらに大きな虚偽が忍び込んでくるのも道理である。クリント・イーストウッドの「硫黄島―」は比較的公平な映画で、ここに人間が国境を越えて正しい歴史というものを共有できる可能性を少しは見出すことが出来る。が、いまのところそれは結局勝利者側が自分が勝利した戦闘を語るもので、敵もなかなかやるな、という程度の公平性を出ていない。東京大空襲や、原爆投下について、アメリカ側から公平な映画が作られる可能性は今後もない。そこで被害を最大にするために如何に非人間的な策略が練られたことなど、彼ら自身が物語ることなどあり得ないことである。

1961年 米 ドン・シーゲル