ピクニック at ハンギング・ロック

 冒頭部の少女たち(と言ってもカレッジの学生だが)の描法の美しさに心を奪われたが、ピクニックの段にいたる頃には、殊に屋外のそれはごく並の画像になってしまう。ストーリーも良く分らない。分らないが実際にあった事件とあっては、孤児の生徒が死んだり、最後に校長先生が死んだりするのも、そのまま受け取るしかなかったが、少女描法の美しさだけのために、それをダビングしながらWIKIで調べたら、この小説、映画には対応する事実がなく、今ではフィクションであることが確定していると言う。もし、事実に基づくと言うのが原作者の言明だとしたら(その時点で地元ではバレそうなものだが)これは悪質な詐欺である。多少無理スジの話でもそれが事実であるからと当初は白紙でそれを受け入れる。それから個々の事件の意味を考えさせられる。しかしそれがまるまるフィクションだとしたら、それはただ、説得力のない話、いい加減なツギハギの話、思いつきの事件展開などを聞かされただけ、と言うことになってしまう。つまりは作者の無才ぶり無責任ぶりを隠蔽するために、実話を偽装したのだ。フィクションだとしても、女三人と女教師一人の失踪に関して、原作者は別に内的必然性のもとに話を組み立てたわけではない。それなのに、なぜこんなことが起きたのか考えさせられたなんて、考えてみれば腹が立つ話だ。最近、この実話への寄りかかりが多いことの背景は以前から気がついていたことである。

1975年 豪州 ピーター・ウィアー