シービスケット

 しばらく映画館というものから遠ざかっていた時期があったが、近所にシネプレックスができたとき、実に数年ぶりかで映画館で見た映画がこれ。映画館で見る映画の、その大画面、大音響というものに感嘆これ久しうした、と言えばおおげさだけれど。
 映画というこの驚異的な芸術。それは芸術の起源にひとつ娯楽という要素が少なからず存在したことを想起させる。官能的な愉楽により、観客=民族=ネーションを一体化させる呪術としての要素も。
 原作の小説「シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説」は436万部を超えるベストセラーだったらしいが、それでもこの総合的芸術のほんの一部品たる地位に、正確にまた正当に位置づけられる。映画の終わりのタイトル・ロールに現れる、おびただしい人と組織の数。このような多数者の参画のもとに製作される芸術として映画。この映画の中で描かれたT型フォード登場の機序にまさにパラレルに、映画という芸術自体が役割分担と流れ作業とででき上がるのだ。そしてその恩恵にあずかった観客達はわずか千二百円(深夜割引)の対価で、芸術的悦楽を入手することが出来る。米西部の原野の美しさや、競走馬の筋肉の動きの美しさなどを堪能できるのだ。フォード車の「黒である限りどんな色のものもあります」というキャッチフレーズは次のように言い換えられるだろう。「感動である限りどのような芸術的感興も入手できます」。いや今はもっとシステムが進化して、どのような色でも購入者の希望のままだ。映画を通して、感動のみならず恐怖も笑いも劣情さえも、手ごろな大衆価格で売りさばかれている。

2003年 アメリカ ゲイリー・ロス