ジュリア

 何度か見る機会があった映画だが、未だかつてまともに見たことがなかった。今回、またまた見る機会があったわけだが、やはり映画の世界にうまくはいりこめなかった。レッドパージの際の、リリアンダシール・ハメットの身の処し方は立派なのだろうが、ジュリアの悲惨な運命は、ただ彼女の独善と無謀のしからしめたところとしか思えず、見ているとひたすら暗鬱になるだけ。どうして皆キリストになりたがり受難したがるのだろうか。
 そもそも赤狩りを扱った映画というと、中心人物のマッカーシーを偏執的で狭量な人物として描き、告発された側を善良な市民としてだけ描くというようなものばかりである。マッカーシーに人格的欠陥があったのは確からしく、またその知人・友人を告発するように強制していくやり方ももちろん問題だが、かといって告発されるほうが全て、善良だったわけではない。ベノナ文書の後では、マッカーシーが考えていたよりはるかに多いソ連のスパイがアメリカに侵入していたことは明白になっている。告発された市民の抵抗の中にアメリカ民主主義の最も良質な部分がある、などいう話はもうメッキがはげているはずだが。

1977年 米 フレッド・ジンネマン