夕陽のギャングたち

 イタリア映画で、マカロニウェスタンかと思いきや、内容はかなり真面目な革命の物語で、それでいて日本語のタイトルはギャングたち、になっていて、ワケが分らない。2時間40分という長尺の映画で、冒頭のロッド・スタイガーの放尿のシーンとか、ジェームス・コバーンのソフトフォーカスでの恋愛の追憶シーンとか、あまり見たくない場面が続く。エンニオ・モリコーネの音楽も、やめてくれと言いたくなるほどセンチ極まりないもの。ところがアマゾンで見ると、結構この映画、評判が高いのである。「忘れられない映画」「涙なしでは見れない」「モリコーネの音楽が忘れがたい」などという賛辞が見られる。若い感性で捉えれば、そのようにも見えるということなのだろうが、私の受容したものとの隔絶ぶりが信じられない。私が若いときに見て感銘を受け、今でも好きな映画になっている「真昼の用心棒」(これもワケの分らないタイトルだ)なども、ほとんどの人にとってはケッタイな映画としか思われぬことだろう。無為に苦しんでいた若い私にとっては、フランコ・ネロの脂ぎった顔や、ジョージ・ヒルトンの実に形の良かったヒップや、何よりもあの主題歌のパセティックな声などから「元気を貰った」のであった。

1971年 イタリア セルジオ・レオーネ