刑事マディガン

 これといって曲のない、素直なストーリー運びの警察物映画。しかし久々に、刑事と大都会の夜、という警察物映画のパセティックな魅力に触れる思いがした。
 日本なら大事件だが、アメリカでも警官が拳銃を奪われるというのは大事件なのだろうか。別に奪わなくともいくらでも拳銃は手に入るのに。奪うほうもただのチンピラではなくれっきとしたギャングである。停職だとか、五日間の減給だとか言っていたけれど。
 それに見ていると、どう考えても「警察委員長(commissioner)」のヘンリー・フォンダのほうが主役のような感じだ。冒頭のクレジットタイトルでは刑事マディガン役のリチャード・ウィドマークが一番で、フォンダはその次になっている。フォンダの方が年上だし、映画デビューからしても先輩なので、少し意外に思う。だから少し軽い役どころなのだろうと思うのが自然だが、実際は一番味のある役を演じている。それにこれは後の話だが、役者としての総合キャリアもフォンダのほうが上と知っている今から見ればなおさら不審である。それにリチャード・ドハティの原作小説のタイトルは「警察委員長」で、もともとフォンダが主役の話だったのだ。
 やはり映画である限り、裏方は主役になりがたく、現場でドンパチやるほうを主役とせざるを得ないのだろう。後には、このマディガンを主役としたTVドラマシリーズまで作られている。
 フォンダの部下が一人、悪に取り込まれてはいるものの、まだ善悪の底が抜けていないころの警察映画で、警察が悪であるという映画をさんざん見せられて、スレてしまった現在の目から見ると、(警察委員長と本部長という役職名がややこしいせいもあって)、悪に取り込まれていたのはフォンダか、と冒頭思ったりした。フォンダが悪役なら、クレジットの二番目というのも納得である。しかしそれはカン違いで、フォンダ演ずる委員長はむしろ高潔すぎて融通がきかないくらいの警察官である。こちらはNYPDだが、ジェイムス・エルロイがLAPDの実態を映画に持ち込みだした頃から、善悪の底が抜け始めたのではないか。よく知らないけど。

1968年 米 ドン・シーゲル