女相続人

 富豪の一人娘キャサリン(オリヴィア・デ・ハビランド)と野心家の男モーリス(モンゴメリー・クリフト)。遺産目当てのモーリスにとってはキャサリンの垢抜けない外見など関係ない。彼は、キャサリンの父親に反対されて、結婚するなら娘には遺産はやらないと言われるに及び、あっさり彼女の前から姿を消す。観客はここまではモーリスの共犯のようなもので、あまりモーリスを咎める気にはなれない。というか、ここでモーリスに共感しておいたほうが後々のために良い。父親が急逝し遺産を相続したキャサリンの前に再びモーリスが現れ、何とかヨリを戻そうとするが、すでにモーリスの心底を見抜いていたキャサリンは当然それを拒絶するのである。このときのキャサリンは、往時の野暮ったさは何処へやら、別人のような美しい女性に変貌している。やさしいだけで世間に疎い女から、失恋がもたらす苦悩、幻滅がもたらす索漠を代償に、自恃と自立を獲得した女性に生まれ変わっていたのだ。その変貌は彼女を冷酷にもし、モーリスをいきなり拒絶するのではなく、少し気を持たせるという報復を彼女に行なわせる。
 演出上、女性の外見を露骨なくらいに変えてしまうというのは、良く使われる映画的手法で、モーリスの不実を知った以降のオリヴィアは美しく優雅であるように撮られている。前半、心情的にモーリスの行為を許容していた観客は、ここでモーリス同様、逃した獲物の大きさを知ることになる。ラストシーンで狂ったようにキャサリンのドアを叩くモーリスがまるで自分自身であるかのような、濃密な観劇体験をすることが出来るだろう。それは、最初からモーリスを軽蔑し、ラストシーンにもモーリスを「いい気味だ」としか思わないことよりはるかにマシなものである。チケット代に対するコスト・パフォーマンスという意味で、だけれど。オリヴィアはこれでアカデミー主演女優賞受賞の由。納得、というか、分かりやすい受賞。
 原作は、ヘンリー・ジェームスの「ワシントン広場」である由だが、重厚な文体で、いかにも文学であるジェームスの作品も、その骨格はメロドラマなのだろうか。

1949年 米 ウィリアム・ワイラー