カルメン故郷に帰る

 高峰秀子さんが脚を大胆に見せて奮戦しているが、1951年という年代を考慮しても、全体的に歌やダンスなどのパフォーマンスのレベルが低い。もっとも、踊子たちが自ら「芸術」と信じている歌や踊りの実相を示して、ペーソスをかもし出すという話なのだから、ここに文句を言うのはお門違いというもの。
 ただ、だから歌や踊りやよりか、無言で不動の浅間山のほうに存在感が出てしまう。この映画を通して終始、浅間山が、青空を背景にして、ショットのたびに噴煙の形を変えつつ、その鮮やかな山肌を見せている。これはむしろ、その浅間を見る映画として価値がある。レフ板を一体何枚使ったのかと思うくらい、画面には光溢れ、色彩も夢幻のように鮮やかな映画で、華やかな衣装をまとった、美しい高峰さんの蓮っ葉な娘っぷりが面白くはあるのだけれど、彼女が奮戦すればするほどますます浅間に遠く及ばなくなってしまう感じだ。カルメンたちは踊子と言い状、つまりはストリッパーで、言われてみればそれはそうなのだが、踊りの最後は、はっきり見せてはいないが、「全スト」になったということらしい。日本初の純国産総天然色映画である由。これを一昨年だかにカンヌに出品したと聞くが、大丈夫だったのか。色彩美だけで受けたのならいいけれど、総じてパフォーマンスが、劇中でてくる小学生の遊戯レベルなので、ついいらぬ心配をしてしまう。別に「雨に歌えば」(1952年)のシド・チャリシーのように踊って欲しいとは言わないけれど。戦争で盲目になった貧しい作曲家の披露する歌も、冗談かと思うくらいに低質なのだ。

1951年 木下恵介  撮影 楠田浩之