マイライフ・アズ・ア・ドッグ

 みすぼらしい最低の生活という意味合いの「犬の生活」に、人工衛星に載せられたライカ犬の運命と自らの飼い犬の運命を含ませているのが原タイトル(Mitt liv som hund)なのだろうと思う。タイトル翻案担当者はスェーデン語のそれをわざわざ英語に変え、それをカタカナ表記するという離れ業を演じている。スェーデン映画のタイトルぐらい日本語にして欲しいものだ。
 若くて健康なママが笑っている世界が完全な世界だとしたら、12歳の少年イングマルにとってその世界は既に崩壊している。ママは病気になり、滅多に笑わずに本ばかり読んでいる。のみならず少年を疎んじ始める。親戚の家に預けられた少年は、常に世の中の不条理なニュースをマークし、それを自分がそれよりはマシと位置づける目印にする。その筆頭が、回収するあてもなく宇宙に打ち上げられ餓死したライカ犬だ。それに較べたら僕は幸運さ。競技場を横切っている時、投槍に胸を刺し貫かれた人。布教中に棍棒で殴り殺された宣教師。それらに較べたら僕はなんてついているんだろう。世の中がちょっとくらいヘンでもどうってことないよ。
 女の人の体には瓶のようなものがさかさまの状態で脚の間に入っていて、その中に男のアレを入れると子供ができる。そう兄貴のエリクが教えてくれた。線路の石橋の下の隠れ家で、女友達のカエルちゃんが下穿きを脱いだところに親父がやってきてどやされた。預けられたグンネル叔父の家の老衰したアルビドソン大叔父は僕に女性下着のカタログのコピーを読ませ、それを聞いて気持ちよさそうにしている。ガラス工場に勤めるグラマーな美女ベリットの見事なお尻を僕は平手で叩く。彼女は美しい。僕は彼女に愛を告白した。彼女は彫刻家のモデルになり、全裸になった。アトリエに付き添いとして連れていかれた僕は天窓から彼女の裸を見た。少年のふりをしているサッカー選手の少女サガの胸がだんだん膨らんできてもうごまかせなくなった。サガはそのわずかに膨らみかけた胸を僕に見せる。そして見せた替わりに僕のアレを見ようとする。僕の愛犬シッカンは僕が預けられると同時に保健所にやられて殺されていたんだ。僕はシッカンにひとこといってやりたかった。おまえを殺したのは僕じゃない、と。信頼していた僕に裏切られたと思ったらシッカンも辛いに違いない。僕は犬になり、人間たちに吠えかかった。犬のような生活じゃない。犬としての生活だ。そして吠えているうちに時間が過ぎていった。何も変わりはしない。そんな風に僕の少年時代も終りかかっている。ボクシング選手になり、世界選手権に勝って母国に栄誉をもたらす、そんなことも不可能ではないような午睡。

1985年 スェーデン ラッセ・ハルストレム監督