尼僧物語

 ベルギー国の尼僧がコンゴに医療支援に行くことが当然のことのように描かれているが、考えてみればコンゴはベルギーの植民地だった。もともとはベルギー王の私有地だったコンゴはその王の圧政の下で苦しんだ。その後ベルギー国有となると、表面上の圧政は払拭され、修道院や医療界が「善行」に赴く。それらは確かに「善行」であるが、結果的には、植民地支配施策の一環に過ぎなかったことは否定できない。この映画は1959年に作られたが、翌1960年にコンゴは独立を果たしている。しかしその独立は動乱をともなった。ベルギーがコンゴの一部の分離独立を画策した為に起きたコンゴ動乱だ。動乱はその後米ソの代理戦争となり、この映画の製作国たるアメリカが後ろ盾した独裁政権の樹立によって終結した。
 コンゴの呪い師の使嗾を受けた現地人に尼僧が撲殺されるシーンがあり、コンゴ土着宗教の野蛮性が喧伝されるが、一方の修道院における非「人間」的修行の有様や、壁にキリストの惨死骸を飾りそれを崇める様(十字架を崇める、ということはそういうことだ)、司教と称する僧職がまとう服の、いたずらな華美さなどを見ると、キリスト教こそ邪教であるという思いがする。ヘプバーン扮する尼僧がやがて修道院を去るのも道理だが、彼女の訣別の理由は、父親を殺したドイツ軍に対する憎しみを捨て去ることが出来ないためだった。心に憎しみがある限りキリスト教徒足り得ないというわけだが、キリスト教は憎しみを否定する側面と、その憎しみを激化するアポカリプス的側面とを併せ持つ、一種面妖な宗教だ。彼女は、自らの憎悪を捨て得ないというよりも、むしろその増長を恐れて捨教した、という面があるのかも知れない。
 女優ヘプバーンもまたベルギー生まれ(父はイギリス人、母はオランダ人)だが、ドイツ占領中親族がドイツ兵に殺されるという、シスター・ルークに通ずる経験を有する。晩年ユニセフの親善大使としてアフリカで慈善活動に赴くところまでもが、あたかもこの映画のヒロインを思わせる存在だった。

1959年 米 フレッド・ジンネマン